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ベター・コール・ソウル シーズン6のayのレビュー・感想・評価

5.0
最初は「ブレイキング・バッド」のスピンオフだからという単純な動機でみはじめたのだけど、回を重ねるごとに、ジミーとキムの2人の関係のゆくえを知りたいという気持ちのほうが強くなった。
そして、人は過去と未来と現在つまり運命から逃れられるのかという難問について、こんなにも考えさせられたTVシリーズははじめてと思う。
最終シーズンもどこまでも知的で奇抜で残酷でシリアスで、未解決のままの部分が混じっても、ラストまで見届けて最後に心に残ったのは、あたたかさとはかない希望と少しの寂しさという着地だった。

前シリーズの「ブレイキング・バッド」では、アメリカ社会が表立っては隠してるけどみえてる深部の悪の力が、堂々と語られた。元高校の化学教師からドラッグ製造に手を染めた主役のウォルターは、たしかに危険で悪党かもしれない。だけどその行動原理はどこか覚えがあってわかりやすい。荒唐無稽なアイデアで次々限界を突破する、彼の饒舌な自己弁護は、こちらの感情にストレートに訴えてきた。つい同情心がわいてしまって、"こうするしかなかった"という悪を正当化するロジックに近づきそうで、笑いあり涙ありスリルありの最高におもしろいTVシリーズなのだけれどみていてバツの悪さもあった。
「ブレイキング・バッド」の前日譚で後日譚の「ベター・コール・ソウル」は、同じく先の読めない展開でも、まず全体のトーンが違ってた。曖昧さを残して暗示的。ボブ・オデンカークはじめ俳優たちのストイックな名演もあって、"あのシーン、あのセリフには、どんな意味の含みがあったんだろう?"とか、エピソードごとに立ちどまって考えさせられるところがあった。カメラワークと編集スタイルに骨太さと質感があって、プロットと緻密に組みあわさって後戻りできない緊迫した空気がうまれてた。

「ベター・コール・ソウル」の主役で一介の弁護士ジミー・マッギルはたくましい想像力をもっていて、労を惜まず自分を演出する。シリーズ当初はそれが喜劇要素として機能して、過度な願望によって行動を起こしては、他人をおとしいれ、自身もふりまわされる。皮肉ったり怒ったり逃げようとしたりして、かえってとんでもない選択をする。しまいには、最初から破滅的とわかるような風変わりな案件を選んで、身の破滅の要因を自分でつくってしまう。
悪徳弁護士のソウル、シナボン店長のジーンと、年月をかけてキャラクターを変えながら、ジミーは魂のかけらを少しずつなくしていった。仕事を変え、居場所を変え、見た目を変え、言葉遣いを変え、性格を変えて、違う人物になろうとしたけれど、つくってると思って実際には自分を壊してた。

ジミーは本心は語らない。最良の理解者だったはずのキムにたいしても、本当のことをいうと2人の関係は壊れてしまう、ある意味で嘘のほうが真実なんだと、彼はどこか思ってる。どんなに親密な相手との関係でも、嘘をつくとき、そこには防衛心と、相手を支配しようとする何かがある。相手の側はつながりを保つために何でもし、耐え忍んで、どんな犠牲も払うようになる。
2人が陶酔的なユーフォリア状態に入りこんだ果ての最終シーズンは、キムの精神のシリアスな変調を想わせるエピソードからはじまって、心が痛んだ。

エリート弁護士だったころのキムには強い自立心と毅然とした態度があって、でもときどき、依存し混乱し迷う影の部分が顔をのぞかせた。シリーズ後半で、母親との関係で傷ついた昔の記憶が、慎重なバランスでほのめかされる。傷ついた人や不幸な人を弁護し"救う"案件を彼女があえて求めてたのも、意識にのぼらないところの深い迷いから、同じように混乱し迷う人に引き寄せられたのかもしれなかった。自分がどれだけナイーヴでジミーに依存してるか、そして自分は特別で人生に分別をもってるという考え自体が幻想なんだとは、キムはおそらくずっと気づいてなかった。
今シーズンの途中、2人の人生の大きな転機となった偶然と必然の境にあるような悲劇について"書く"ことで、キムが自分の良心の呵責の限界と向きあい、和解し、ジミーとの関係の捉えかたに区切りをつける重要なエピソードがあった。あらゆる決断を拒否してただひとりじっと濃い霧のなかをさまようような、奇妙な時間を長く必要としていたキムは、"書く"ことで悲劇の日以来はじめて、思考と感情と記憶の複雑なもつれから自分を遠ざけることができたのかもしれなかった。

なぜあの人がこんなにも愚かなことを?、とびっくりするような出来事は、現実の社会でもたびたび起こる。約束された未来にありそうなこととまったく違った、想像もしなかった不適切なコースをみずから邁進し、社会に断罪され追い詰められてようやく自身のおかしさにうっすらと気がつく。

ジミーからソウルそしてジーンへの転身劇は、単純合理的な因果律では説明できない、限りなく悪に近づこうとする心理の微妙なリアリティを手数を踏んでみせていて、一見突飛で自由な思いつきのようでも人間の行動原理のパターンから結局逃れきれてないところもあって、はたからみれば滑稽な人生ではあるのだけれど底にはずしんとくるような哀しみがあった。
決定的な過ちを後から正すことはできないし、犯した罪からは逃れられない。プライドを打ち砕かれ演じることをやめたジェームズ・マッギルは、生きる根本を変えていくよう、運命に挑まれている。

ジミーとキムが愛だと思ってる2人の特別な絆が本当に愛なのか、内心、ずっとわからなかった。ラスト2話は何度か見返した。男女で分けて男性の権威性の失墜という展開にはもってかなかったし、他者の欠如を埋めようとするのとも違ったベクトルの結末で、深い満足と納得があった。他人には簡単に割りこめない、長い時間を共に過ごしたものたちだけが分けあえるような次元の、苦みと痛みと安堵が交わった終盤のショットに、恋愛と友愛があいまいに混じりあったような愛が2人にはたしかにあったんじゃないかな、と思えた。
いつか、その後のジミーとキムの物語をみてみたい。
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