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まぶしくて ―私たちの輝く時間―のFOのネタバレレビュー・内容・結末

4.8

このレビューはネタバレを含みます

10話までは夢?夢おちというレビューを見かけるので、こうではないかと思うことを書きます。
あれは、夢ではないと思います。
認知症の人の中では、妄想が事実として存在しているようです。
「もう一軒の家へ行きたい」と言う時、「他に家はないよ」といくら説明しても、その人の中では、もう一軒の家の存在は、疑う余地のない事実なので、伝わりません。
1話から10話は、アルツハイマーを患ったへジャの頭の中の世界の擬似体験だと思いました。
アルツハイマーの症状として、実際、過去の後悔や願望が妄想にどう影響するのかはわかりませんが、ジュナにそっくりのお医者さんと、盗まれたジュナの時計を見たことが引き金になり、へジャの中では、記憶の断片や、後悔、願望などの感情が、形を変えて妄想になったのだと思います。
そして、へジャの感覚では、その妄想は事実です。

想像ですが、

(妄想)ジュナが記者になれなかった。

(現実)記者だったせいで、あんな事になってしまったから、記者でなければよかったのにと思っていた。

(妄想)父親(テサン)を事故から救いたかった。

(現実)子供(テサン)を事故から守りたかった。

(妄想)暗い地下室で暴力を受けてケガをしたジュナを助けた。

(現実)警察に逮捕されて暴力を受けて亡くなったジュナを助けたかったという願望を叶えた。

(妄想)事故の前まで父親(テサン)とすごく仲が良かった。

(現実)強く育てようとして、子供(テサン)にいつも厳しく接していたので、もっと仲の良い親子になりたかった。
または、事故の前まで、仲の良い親子だったことを思い出した。

あの頃はこうだった、こうだったらよかった、こうすればよかったが沢山描かれているのだと思います。
見返すと、笑える場面さえ、切なくなります。
ただ、終盤、息子テサンが10話までのエピソードを回想している場面もあるので、全てがへジャの妄想ではないようです。

この解釈、合っているのかな?

※ 追記
へジャの頭の中の世界を疑似体験と書きましたが、見ている人のほとんどは、10話まで、このドラマはファンタジードラマだと思って見ていたと思います。
その信じて疑わない感じが、「自分は25歳で時計のせいで歳を取り…」を現実のことと思っているへジャの感覚と同じなのかも?とも思いました。
考えれば考えるほど、深い演出、構成のように思います。
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