Mypage

おやすみ、また向こう岸でのMypageのネタバレレビュー・内容・結末

おやすみ、また向こう岸で(2019年製作のドラマ)
4.5

このレビューはネタバレを含みます

映画

再見。

ある問題を抱えるカップルとそこにあらわれた刺客の三角関係、という構図からこの映画はスタートする。そのような関係から予測される略奪愛的な展開、裏切り・騙し合いというギミックへのサインを、会話の節々や目線のやり取りのなかであっさりと踏襲しつつも、それを軽々と裏切り、物語は予期せぬ方向へドライブしていく。
カナコの”片想い”という強い感情がきっかけとなってストーリーが進行していくなかで、僕ははじめそこに乗っかって作品に入っていった。
「ヒロキさんとの二人の問題にはなるべく口を出さないようにするけど、私だってナツキちゃんの恋人になりたいよ。......ヒロキさん、信じてないから私のこと嫉妬しないって言ってたけど、私の方が嫉妬して、殺しちゃうかも。そしたら二人っきりだね」
つまり、カナコがナツキに抱く”愛情からくる独占欲”をおさえながらナツキと関係性を深めていく、というアプローチに、である。片想いのこのやるせないツラさが作品として昇華されていることに、観客にとってはある種の浄化機能がある。
カナコは自分がナツキと同性であることによるヒロキのミスリードを利用してナツキに近づいていく。3人の間に既往の恋愛ドラマにはない特殊な条件が課されることによって、異様なテンポで話が進んでいく。屋上で別れ話を切り出した直後には、食卓で同居が提案され、その次のシーンではカナコは荷物を持って二人の家を訪れる。有無を言わせぬ壮大なジャンプカット。リアルベースで進行していくドラマと見せかけて、やはりこれは『あみこ』の監督でもある山中瑶子の「映画」なのだと思わせられる。
帰宅して寝室に向かうヒロキは、サスペンス映画の猟奇殺人犯さながらの不穏なシルエットによって表現される。こんな人物の捉え方は、普通テレビドラマでは滅多にされない。台詞や動きではなく、画面で説明する。冒頭のカナコとヒロキの意味ありげな目配せを思い出す。「カナコがヒロキを狙っている」という暗示にも思われたそのシーンの印象がここで180度転換される。
しかし、そのような仕掛けだけでは「映画」は「映画」たり得ない。山中瑶子の作家性はそのあとのクライマックスへ向けたシークエンスに余すことなく発揮される。このひねくれた監督が、”侵入する”側である男性性としてのヒロキを「悪」として描き、新しい「愛」のあり方を提示する、みたいなわかりやすい結末に落ち着くはずがない。
ヒロキの反倫理的な行為に対しては「気持ちわるい」の一言であっさりと片付け、その次の「気持ちい〜」に当然のようにジャンプしていく。ナツキの戸惑う表情にかろうじて整合性が保たれる。
Mypage

Mypage