自分の話に引き付けると、20代後半にさしかかる時、「大人とは?」というテーマにぶちあたったというか、目の当たりにしたというか、考えた。
そして30代を前に、「子どもとは?」何かを考えざるを得ない状況に身を置いた(もちろん今も日々考えざるを得ない有難い生活を送っている!)。
自分なりの答えというか、考えたことの延長線にある実践、その話ではあるけれど、ある意味「現場」に身を置く自分の意見としては、この映画に描かれた世界が「ユートピア」だとは思えないし、全肯定はできない。ただし、柔軟であること、信じることや待つことの大切さ、には大いに頷ける。
一度観ただけの人としては、発達障害に関しての触れ方には不満がある。もちろん、「障害」はその人の外側にある。その人が「障害者」なのではなく、その人にとっての社会が「障害社会」なのだ。
でも、それは子どもと大人の関わり方や、子どもと国の教育システムの問題、だけ、ではなくて、子ども対子どもの問題でもあるわけで。「発達障害」という言葉に救われた人も少なからずいたと思うし、服薬によって開かれた道もあるのでは?とも今は思っている。これは当事者ではない人としての意見。
自分自身「健常者」と自称するにはバランスよくない人間だという自覚はあるし(それが社会との軋轢や不適合の原因になるかどうか、どこに身を置くか、置きたいか、が問題では?)、いわゆる"その"スペクトラムの中に身を置いている、ことを否定はできない。子どもに限った話ではなく、こういった問題において調整役の重要さ、「大人」が介入するラインの難しさ、について、この映画にはあまり描かれていない(誤解を生む表現が含まれている?)
すべての人は肯定されるべき、というスーパーウルトラ正論大前提の中には矛盾がたくさんある。現場はいつもそれと戦ってる。国の施策も一般ピーポーも、キレーゴトだけではなく、こういった作品をきっかけにもっと現場のことを知って社会を動かして欲しいです。そしてわずかなりとも動かせるように私も生きます。軍隊主義に静かに中指立てる姿勢には大賛成。
平日夕方だけど親子で観に来てる人も数組いて、劇中の呼びかけに子どもがリアクションしてたり、後半集中力切れて落ち着かなくなったりしてて、ほっこりした。
あと、ブルーハーツを大音量で聴くだけでおじさんは涙が流れる。これはずるい。