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母性のKYONのレビュー・感想・評価

母性(2022年製作の映画)
3.0
極端な話なので、個人的には映画で説かれる結論とは異なる持論があるんですけど、役者さんの演技に押されて(?)独自解釈幅で考えさせられちゃいました。
ザしんどい昼ドラ系嫁姑問題久しぶりに見たような気がする。

内容的には母性それ自体の本質を娘と対をなすものと定義して、それが一つネグレクトの原因になると言いたかったんでしょうか。

親子ではなく母性が強調されている理由は、父ではなくて母に抱かれる期待について言及したいからなのでしょう。で、かつ単純にネグレクトだったら、最初の事件掘り下げればいいところ、そうしなかったのは母性の形成とそれと対をなす娘性(という考え方)について描くため、とかなんですかね。

母か娘か、ではなく、母でもあり娘でもあると私は思うので、正直賛同はできませんでした。
みんな最初から子の期間を無くして親にはなれないので、娘であったから母が理解できるのだと私は思います。大抵は。

ただし母or娘の二者択一説は、理論的には有り得なくはない感じはするし、実際にそういう人も確かにいるのかもしれませんね。

これが例外でありマイナーケースであったとしても、悲しい事件は実在するので、一つの仮説に基づく一つの考察ともとれました。

つまり、経緯は映画なのでとにかく極端で御伽話っぽいんですけど、別のルートを通って最終的に他者に、あるいは自分自身に期待される母性を備えられないという結実があっても、可能性としておかしくはないのかなと思いました。
それが事件につながるかはまた別のハードルな気もしますが、契機としてはあり得るのかなと。

良くも悪くも娘であった時の経験が自分の母性を形成する要素に影響しているとは思いました。そして、そのうち"一般的"な母性が形成されなかった人をこの物語では"娘"と呼んでいると解釈しました。

実際にネグレクトで亡くなってしまった子供たちの親については、母性と感じられる何かが欠けていると思います。ただそう私が感じるのは、母性が子に対してもつ責任と払う自己犠牲とを包括すると思うからなのでしょう。(ネグレクトとなると母性の前に人間性が気になるところでもありますが..)

この映画は極端なシナリオではあるものの、完全否定できない、どこかにありそうな真実の極例ともとれました。
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