Paula

マッドゴッドのPaulaのネタバレレビュー・内容・結末

マッドゴッド(2021年製作の映画)
2.0

このレビューはネタバレを含みます

始まりは、遠い昔『帝国の逆襲』が存在しないレイト70’s より...

SDGsによる7と9、11、12、それと15、16の目標違反!
とにかく四捨五入して全部に違反なので
神様がお怒りの ピー!  (`Θ´)/🟥 レッドカード
なんちゃってね!?

2014年に公開されたPart 1から始まり2018年のPart 3までをショート・フィルムとして一部が一般公開されていて、3部作の合計でも41分ぐらいの長さのものだったものに残りの42分間のシーンを継ぎ足したかたちでランタイムを83分に収めている。(Part 3だけ未見)
だからなのか?
前半の部分と後半の部分の映像としての色彩バランスや配色、ライティング、そして何よりもストップモーションの欠点とされるガクガクした動きの歪さが色彩やライティングの加減から少しは改善されているようにも見えて質感の違いを一本の作品の中で感じ取ることが出来るかもしれない。
それはあくまでも個人的な感覚であって、極東の尻尾を見失ったエイプ達は映画製作者の名声や功績だけで「キー、キー!」と言って盲目的に褒めちぎっている。

"If as one people speaking the same language they have begun to
do this, then nothing they plan to do will be impossible for them."
(創世記11章6節 分かり易い新国際版聖書による神の言葉より)
サイレント・フィルムよりも優しくはなく説明なんてものが一切無い中で旧約聖書にご登場のノアの箱舟で神から痛いお仕置きを受けた人類の残りカスのノアの子孫達が世界に散らばっていても同一言語を話して仲良く暮らしていたのにまたぞろバベルの塔の建設によって神がお怒りのあまり今度は天変地異の大洪水ではなくてお互いが話す言葉を多言語にする事でそれまで同一言語でとれていた人間同士のコミュニケーションがとれなくなり意思疎通が困難になることで建設続行が出来なくなったとされている。これはあくまでも旧約聖書の中の物語であって、本作のようによく知られている神の怒りの象徴である雷は一般的通念の表れとされている。だから多くの節操もない仏教徒と偽る黄色いエイプがクリスマスも祝い、日本語も話せるってか!!
(●´∀`●)ノお馬鹿デスゥ💕

"Baby babbling on speaker"
確かに作中、ほとんどの場面で言葉らしい言葉もなく、あくまでも距離的に離れていて聞き取れない言葉が使われいるのは例外として、その数少ないはっきりと聞こえる言葉の中には意味不明な外国語としかあたしのシワのない脳ミソでは理解できず、そんな中にも自然界にはいない奇妙なゲテモノ動物?の母親らしきものが子供が目の前で謎のアルケミストによって放たれた蜘蛛の形をした毒々モンスターに連れ去られる時に"□□□□"という英語をたった一言だけ作中、使われている。※この英語は不親切でも言えません。映画を見ていただければ幸いですので悪しからず?

"Your land shall become a debolation and your cities a ruin."
(映画も始まって間もない時にレビ記の一説がスクロールし現れる)
死後に行き先が決まる六つの世界を彷徨する六道輪廻の仏教的思想との関連性が、ある意味微妙に違いを示す『新約聖書』の終わりには "最後の審判"の項目が記載されている。
(シュワちゃんの映画ではないけど:Judgment DayとかLast Judgementと呼ばれている)
この映画自体は、スティーム・パンキイな過去の多くのアサシンの目を通してあたかも案内人のようになり単純に"最後の審判" を愚かな不完全な"人間もどき" が繰り返す様子を冷笑の極みのシニカルさから少女の人形が苦しんでいる小型の疑似チューバッカの目の前でマスターベイトをし、命が軽んじられ、例えば蛇のように人が本能的に忌み嫌うとされる擬人化の難しい生き物や暴力で支配をする狂暴モンスターなどを含めて暗くて不快で汚物のようなディストピアの世界観から映画製作者は媚びを売るニッチ向けアート・フィルムを暗に否定しているようにも受け止められる。

完成度やポテンシャルの高いライカが製作したストップ モーション・アニメーションから比べると冷淡だけで喜べるユーモアには欠け、独自のゴア表現だけのタコツボのような閉塞感から始まり、すべてがストップ モーションであるとは限らず、実写であるパペット スーツを着た役者を一部使い、またミニチュアを走らせる場面などビジュアルの違いは目障りで違和感でしかない。何と言っても30年前ならともかく、受け入れるのを拒む原因となっていた稚拙なCGIによるリアル感の無い映像しかなかった時代に本作のそれらアニメーションに拍手を自然に贈れるのかもしれない。けれども昨今の技術革新によるCGIによって、ストップモーション・アニメーションの世界としたら、例えデザインと雰囲気は好きだとしても、さらにノスタルジックさに共感をしても本作に限って言えば、そのほとんどは時代遅れとなっている。その事はスピルバーグ監督がストップモーション・アニメーションからCGIに目移りをしたときにフィル・ティペット監督は実際に彼から見捨てられかけている。その当時のCGIがまだ未発達だった為に映像とシンクロさせるのに手間がかかり彼はまた呼び戻され、その時の一連の顛末に関して彼が放った言葉が映画『ジュラシック・パーク』(1993)でメタファーとして蘇っている...

      "I’ve just become extinct."

ただ言える事は、アシモフの三原則を初めて知った『禁断の惑星』の重要な登場人物?ロビーこと宇宙家族ロビンソンの"War of the Robots"の回など他のテレビドラマでも活躍し「ハリウッドで最も働き者のロボット」と呼ばれた"ロビー・ザ・ロボット"や映画製作者が関わった『ロボコップ』の警護ロボ"ED-209" の姿も ガラクタの山に朽ち果てている様子など極端なディテールのコダワリと愛情を込めて作られているのは一見して分かるかもしれない。

前述のライカとの共時性はストップモーション・アニメーションの宿命的欠点とされる技術力のあるスタッフによるワン・ショットの手間暇と製作時間が膨大にかかることを避けることは出来ずに本作でも兵士の死体の山のシーンは、何千人もの小さな軍人のミニチュアをワイヤーで吊るして溶かすことによって行われ、全てのワン・シーンを完成させるためだけに 6 人掛で 3 年かかったと伝え聞く。

映画の宣伝のための嘘... 30年は時間だけのお話
... 2010年ぐらいまで放置されていたフィルムをティペット監督のスタッフがたまたま見つけ、クラウドファンディングを募ったことで再開。『マッドゴッド』が楽しむための映画ではなく、体験するための映画と評価される中、しかし、その長くつらい仕事の非常識なほどの労力は無意味な戯言となり、仮にアート・フィルムとゴミとの間にはどちらに転ぶか予見できない微妙な境界線があるとするなら、残念ながら、別次元のフィルムを付け加えたこの映画はその境界線すら存在しないほど惑星と名乗れなくなった冥王星ぐらい程遠い存在なのかもしれない!?

その事は40分で... 退屈の為、終わりまで爆睡!?

その冥王星の意味については... Sci-Fi映画『2001年宇宙の旅』に登場する石柱状の謎の物体モノリスをこの作品のラストと同じスタンスでオマージュさせていただきました。  意味不明な辛辣さで失礼します。

※フランスの映画評論家のミシェル・シメントの
「この種のおとぎ話や神話のファクターによる意味合いは現在のファンタジーにみられるのか?」の問いにキューブリック監督はこのように答えている。

I believe fantasy stories at their best serve the same function for us
that fairy tales and mythology formerly did. The current popularity
of fantasy, particularly in films, suggests that popular culture, at least,
isn't getting what it wants from realism. The nineteenth century was
the golden age of realistic fiction. The twentieth century may be the
golden age of fantasy.

Stanley Kubrick... そんな奴なんて知らないってか? それではどうも失礼しました。
Paula

Paula