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マドンナのMHRのネタバレレビュー・内容・結末

マドンナ(2015年製作の映画)
4.6

このレビューはネタバレを含みます

面白かった。フェチのある映画ではないから、上手く言えないけど、評価の高さによく頷ける。シンプルにみやすく、うまく、シーンの撮り方がすごい。卵の描写が厭で、そういう食事と性欲を現実に存在する暴力性として描くところがすごく肌に合う。ただただ金がない。あらゆる種類の力に圧迫されて、負けるが、それを折られた側に求める考え方はとにかくなにも分かっていない。狭義ではない「人が死ぬところ」をたくさん見た。完膚なきまでに叩きのめされ続けるが、金と生活がかかっていたら仕方ないのか。「愛情」を取り扱わず、ひたすら金がない話をしていて、相対的な弱者が死んでいく。主人公の造形もそうだけど、終始抑制された眼差しで描いていてよかった。もっと「怒り」を前面に出しても構わない作品だけど、そうはしなかったところに監督の意思を感じる。静かな怒り、ですらない。ただただ世間が描かれて映画が出来上がっていく。わたしたちはそこから、当然に、抑圧を汲み取る。映画で怒らなくても伝わるから、いい。本当に暴力でしかない性欲の話をすごくしていて、性の扱い方が私は好きだった。主人公と同僚のナースとミナ。わたしは全面的に「恋愛」を信用していないので、それ以前の生存の問題をずっとしていてよかった。
ラストシーンもよく撮られているが、好きかと言われると、少し説得に欠ける気がする。ただどこも見てよかった。

追記
ラストシーンの話! 説得〜だのいってたけど、私が大事な部分を忘れてた。私が生きるため、私が愛されるため。急に「母性」が普遍的みたいな話をしないところ、むしろそれをきちんと否定していたところで名作だと確信したのに、愚か。ちゃんと説得力はある。

あとピョン・ヨハンのキャラクターも良かった。彼は悪人を演じることが難しいんじゃないか、と思うぐらい内面が強くない善人がはまる。ひたすらフェラチオが繰り返される(支配欲を満たす、上下関係に置く、相手との身分差、みたいな表象、屈辱感。相手の性器を口に含む、ていう動作にこういう意味合いがある、それがはっきり、むしろ公然と分かってるって面白い。こういうの学びたいかも)映画だが、あのシーンもその流れに当てはまる。フェラチオを裏付ける性欲を支配欲・蔑視の一種の型として徹底的に描いているわけで、あの瓶も間接的なフェラチオに入る。形式・機能としての類似。まあしかしそれはあくまで間接的であり、決してフェラチオそれ自体ではない。同じものだが、そこは違うよね。というのをヨハン先生の後に来る冒頭に至るまでのあそこで学んだ。フェラチオの後に来るものが何か。屈辱を貫く暴力の体系を、少なくともまだヨハン先生は体験しなかった。体験せずに済んだのは当然彼の社会的地位(性差も含む が、性差それ自体ではなく、性差によって異なる地位 ひたすら身分の話をしている)の問題。

メモしてて思ったが、徹底した目線、というのを随所に感じる映画だった。ひとつひとつのシーンの映画的なこだわりも、まなざしも、ひたすら抑制されていた。
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