アードベッグ

恋は光のアードベッグのレビュー・感想・評価

恋は光(2022年製作の映画)
4.5
恋とは、言葉の定義からして曖昧だ。

特定の誰かを思い浮かべた時に、その相手を求める気持ちや胸の高鳴りや苦しさを、最初に誰かが言語化して、他の誰かも自分と似たような気持ちを抱いていることを知り、お互いの共通認識として、そのようなボンヤリとした思いを「恋」と呼んだ。
元々は、ただそれだけのことなのだと思う。

実際のところ、誰かが誰かを思った時の胸の内の燻りって、人それぞれ全く違うと思うんだよね。要因も強さも方向性も、そして、その表し方も。それらを全て同じ「恋」として定義するのは少々乱暴なんじゃなかろうか。

「恋らしき感情」の表層部分の揺らぎだけを言葉として掬い取れば、「恋」は何でもありになる。
「恋とは○○である」と内容を明確に限定すれば、自分が恋だと思っていた感情は実は恋ではなかったのかも知れない...となる。

恋をするのは面倒だし、恋とは何かを考えるのもまた面倒だ。

映画「恋は光」は、そんな「恋って何?」という、非常に面倒な命題に真正面から向き合っている。

あらすじ紹介にもある通り、「恋の定義とは?」という議論が物語の中心になる。
時にロジカルに、時にエモーショナルに、恋の定義について彼らは語り合う。

なぜか人は他人にも共感を強要して、自分の考える「恋」と他人の考える「恋」が根本では同じものだと思いたがる。だけど彼らは、考えの擦り合わせを図りつつも結論を急がず、かつ曖昧なまま対話を終わらせたりもしない。その言語化できない情動をどうにかして体系化・言語化しようと思案して葛藤して、そしてまた対話しながら思案を繰り返す。ロジックとエモーションという対極の両方を含んでいて、それでいてどちらでもないような、不思議な感覚の正体を探し続ける。

若い
甘い
青い
淡い
苦い
鋭い
脆い

そんな剥き出しの心がぶつかり合い、混ざり合い、愛し合おうとする。

自分の青春時代の問いの答え合わせを見ているようで、眩しくて切なくて、そして愛おしい気持ちで胸がいっぱいになった。

恋の楽しさに浸る人にも、恋に悩み惑う人にも、恋を諦めた人にも、ぜひ観て欲しい。
「恋って良いな」と素直に思える、素敵な物語でした。

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