Harutaco

エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンスのHarutacoのネタバレレビュー・内容・結末

3.5

このレビューはネタバレを含みます

ものすごいものを見てしまった気がする。好みかどうかと言われると好みではないけれど…。どこかの街の一角にある、不幸ではないけれど平凡でストレスフルな生活。それをなんと、マルチバースとカンフーで描き出した作品。複雑そうでシンプル、だけどよくわからない。マルチバースという設定がなくても十分面白い物語になりそうなところがよい。

アジア系の方々が中心で、中国語と英語の併用。それでアカデミー賞というのは嬉しい。そして移民、貧困、レズ、介護といったテーマがクローズアップされるのではなくて、とことん日常として描かれていたのもよかった。

マルチバースという設定を通して、ちっぽけで不幸に思えてしまう人生を最高なものだと祝福する物語。挫折が多ければ多いほど人は強くなるというメッセージも心に刺さる。あったかもしれない自分の姿を得られていないことに悲しむのではなく、その挫折も糧にしながら今ある愛を大事にすること。手指がふにゃふにゃソーセージでも、その分足の指を使う喜びを得ればよいのだということ。作品が伝えるのはこんなシンプルなことのような気がする。

全てのバースを救う使命に駆られたアルファバース、特にアルファ・ゴンゴンは、自分の正義を振りかざしていて、まるでアメリカのよう?なんて思った。
一方で、悪の正体は娘で、娘が作り出したベーグルは、嫌なこと、辛いこと、それが全て詰まった虚無の世界。つまりこの作品では絶対悪を否定している。ではアルファバースの人々が立ち向かう巨悪とは一体なんなのか。そんなことを考えさせられる。こう考えると、悪を設定してしまう(それが戦争につながる)人間の性と、それに抗うためのささやかなようで強力な光を放つ目の前の愛の力を描いた作品とも言えるのかもしれない。今思うと、Joyという名前、なんて素敵なんだろう。

ジョブ・トゥパキの存在がなぜ全てのバースの危機になるのかがわからなかった。ジョブ・トゥパキがどうやって生み出されたのかも、一度観ただけではよくわからない。かつてゴンゴンがエヴリンを手放した流れもよくわからなかった。

岩の場面、一番好きだったかも。

【記録用に追記】
アジア系俳優たちの活躍の場がこれまでどれだけ制限されていたのかということを考えると、やはり歴史的な受賞なのかなと思う。

"Is it that I can't be here or that I'm not allowed to be here?" この言葉、序盤だったけど響いた。

エヴリンが生まれたとき、女の子でがっかりされる場面があったことを思い出した。こういうささいな場面や台詞が、現実世界への強いプロテストのメッセージであるようにも思えてくる。

【ふと思ったことをさらに追記】
アルファバースが自らを「アルファ」と名づけるあたりが、自己中心的だなと思うし、世界の理解のあり方が記号的であるとも思った。アルファバースをアルファバースと呼ぶことは、アルファバース中心の世界の理解を受け入れてしまっているということにもなる。それに対して私たちの宇宙観にある地球、火星、水星などといった呼び名は、順列をつけない豊かな世界観だなと、ふと思った。

【さらに追記 5/11】
ハンナ・アーレントのいう「陳腐/凡庸な悪」を思い出し、悪とは何かを考えているが、このストーリーでジョイは諸悪の根源、彼女を排除すれば世界は救われるとするアルファバースの者たち。そうだとした場合の「悪」とは何か。絶対悪か、実はそう見えるけど悪者ではないよ、という二択で描かれているが、アーレント的な考えをあてはめることはできるのか?

もうひとつ、助演男優賞の「アメリカンドリーム」と言う言葉がずっとひっかかっている。彼が認められたことは心から喜びたい。一方で、個人の能力主義を押し付けるような価値観でその幻想性はとっくに指摘されてきた。では彼の発言は何を意味するのか。能力が認められる環境が形成されたとして、能力主義は肯定されてよいのか、と思ったりしている。
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