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TAR/ターのarenのネタバレレビュー・内容・結末

TAR/ター(2022年製作の映画)
5.0

このレビューはネタバレを含みます

TAR ネタバレレビュー

【あらすじ ※公式より引用】
ドイツの有名オーケストラで、女性としてはじめて首席指揮者に任命されたリディア・ター。天才的能力とたぐいまれなプロデュース力で、その地位を築いた彼女だったが、いまはマーラーの交響曲第5番の演奏と録音のプレッシャーと、新曲の創作に苦しんでいた。そんなある時、かつて彼女が指導した若手指揮者の訃報が入り、ある疑惑をかけられたターは追い詰められていく。

【ネタバレレビュー】
トッドフィールドがメガホンを取り、名女優であるケイトブランシェットが主演を務めた衝撃作。その衝撃的なストーリーと、ケイトブランシェットの鬼気迫る演技で現在話題沸騰中の一本だ。
先に言っておくと私はクラシック音楽については何も知らない(楽器の種類もよく分かっていない)。全くの未知領域である。しかしながらそれでも私は今作を機にクラシック音楽の虜になってしまった気がするのだ。それは劇中で流れる音楽の美しさ故だろうか。もちろんそれもあるだろうが、私にはもっと大きな理由があると思う。
今作のような、芸術家を含む人生の成功者が堕落していく様子を描いた作品は正直言って沢山ある。私は特に近年増加しがちだと感じている(実際のところはわからないが)。まさに「盛者必衰の理」を表した作品が多く、華やかさと汚れを対比して描いている。私は決してそんな作風を否定するつもりはないし、むしろかなり好きなのだが、本作はそれらとは違う、目に見えているものとは別の「鮮やかさ」を感じた。今回はそんな映画「TAR」の感想を、独断と偏見を交えて、かつネタバレ全開でお届けしようと思う。最後まで読んでいただけると幸甚だ。
私が今作を観ていて一番感じたのは、「違和感」だ。ペンをカチカチ鳴らす音、学生マックスのせわしない貧乏ゆすり、冒頭で聴こえる不協和音とも取れる歌声と、同時に流れるエンドロール…あげ出したらキリがない。また、オーケストラ以外の場面ではほとんど劇伴が流れないので、その違和感は増幅される。これはただものではないと感じるし、同時に強く戦慄が走る。
そんな違和感を消し去るように、服や机の埃を何度も払うター。まるでその違和感に懼れ、音楽に熱中することで恐怖心を忘れようとしているようである。
そして「違和感」は「ノイズ」へと形を変え、ターにまとわりつく。子供の悲鳴、何度も鳴るノックやチャイム、突然鳴り始めるメトロノーム…普通の映画であればその正体は後々明かされるが、今作は違う。「伏線回収の快感」を捨て、後にはただ不気味さが残るその作風はまさに不協和音と言えるだろう。私はこんなにも「違和感」を上手く利用した作品を他に知らないかもしれない。
そしてその違和感に振り回されるターの人格もまた、今作を読み解く上で魅力的だと思った。この手の作品では主人公は破天荒や無礼者といった言葉で表現されがちだが、主人公のターがそこまで人格破綻者として描かれていないのが斬新だ。あくまで一人の人間として描くことで我々に親近感を与え、同時に自分の周りにも恐怖があるということを否応なしに伝えてくる。
そんなターを演じるケイトブランシェットの演技も逸品だ。前述の通り、今作が話題に上がった理由として彼女の演技が挙げられるわけだが、ベテラン女優としての風格と圧倒的存在感は主人公ターにも通ずるところがある。アメリカ英語とドイツ語を巧みに使い、余裕のある人間の表情と追い詰められた人間の表情を使い分け、あたかも本物の指揮者であるかのように指揮棒を振る彼女は、やはり名女優である。特に冒頭の自らの経歴を黙って聞いている場面と、後半のエリオットに殴りかかるときの表情の差を見てほしい。一つの映画であんなにも表情が変わることは珍しい。なぜならその演出についていける俳優の存在自体が稀だからだ。
しかし、さすがは名女優ケイトブランシェット。我々の想像を遥かに超えた演技で今作でも魅せてくれた。秀逸極まりない彼女の演技、それだけでも映画代の価値は十分あった。
また、作品を彩る音楽と映像も素晴らしかった。映像面については長回しを多用したカットが特徴的で、俳優の動きに合わせてカメラが動くために、ワンカットと気付くのに少し時間がかかった。構図もかなり効果的で、登場するキャラクター全員が常に映えていた。
音楽に関しては、やはりオーケストラの場面が素晴らしかった。静かな場面からオーケストラの場面へと急に切り替わることが多いのだが、切り替わった瞬間に爆音で美しいクラシック音楽が流れるので、こちらとしては一気に引き込まれる。演奏も素人でも素晴らしいものだと分かるクオリティだったので、これはなんとしても劇場の音響で聴いていただきたい。また、前述の「ノイズ」に関しても明らかに劇場の音響でないと聞き取れないようなものもあった。まさかこの作品で感じるとは思わなかったが、映画は映画館で観る物なのだ。
さて、話をストーリーに戻そう。最後に述べなければいけないこと、それはやはりラストシーンの解釈だろう。今作のラストシーンは公式サイトで様々な解釈が紹介されるほどハッピーエンドかバッドエンドかが観た人によって大きく分かれるものだ。公式サイトに書かれているトッドフィールドの言葉、「映画をどのように解釈するかについての権利は観客にあると私は考えている。」に倣って、最後に私の解釈を紹介しようと思う。
私は全くの無知ゆえに解説を読むまで知らなかったのだが、ラストシーンでの観客のコスプレはゲーム「モンスターハンター」のものらしい。クラシック音楽から離れてゲーム音楽や映画音楽からやり直そうとする彼女の姿には、音楽に対する情熱と愛を感じる。終盤に彼女が観ていた古い音楽家の記録映像を機に、彼女にはやはり音楽しかないと悟る。実家で見つけたことを考えると、再確認という言葉が相応しいだろうか。とにかく彼女は再び己の道を見つけ、また一歩前進していく。
ただそうだからと言って、私にはこの作品のラストが完全なハッピーエンドとはどうしても思えない。そもそもハッピーエンドかバッドエンドかという言葉でこの作品を語ってしまうと今作を矮小化して話しているようにも感じるのだ。ラストには希望が見られるが、その後のエンドロールは暴力的である。繊細なクラシック音楽とは全く違った重低音溢れる音楽は、これまでの彼女の人生を皮肉ったようにも感じられる。最後の最後まで決して陳腐にしない演出の意図が感じられた。

さて、まだ語りたいことは多いのだが今回はこの辺で。難解さについていけるか否かで今作の好みははっきり分かれると思うが、私としては非常に満足いく作品だった。私も将来は映画の脚本家という、芸術に関わる人間として生きていきたいと思っているので、その身の振り方には十分気をつけねばならないと感じた一本でもあった。(苦笑)
トッドフィールドとケイトブランシェットが贈る、最高級の「違和感」を見逃すな。映画「TAR」は絶賛公開中。

⭐︎5/5
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