イーグルディアン

いくえにも。のイーグルディアンのネタバレレビュー・内容・結末

いくえにも。(2022年製作の映画)
4.3

このレビューはネタバレを含みます

家族に関する辛い経験をした人の集まりで本当の家族の話ではありません。
ここからは私なりの解釈と疑問を長々書き込みます

鍵となる電話ボックスは過去を表すと共に母なのかも。冒頭、虹郎演じる修平が小さな男の子のいる電話ボックスの横を通り過ぎますがこれは彼自身の子供時代の記憶で彼の中では現在も電話ボックスが存在している

始まりは普通の家族に思えた。最初の違和感はお父さんがお酒勧めて修平が「飲めないし」と断った場面。お父さん知らないの?次に妹が修平にお皿を手渡す場面。本当の家族でないと分かった上で見返すとお皿を落としてしまった時「ごめんなさい」を怯えながら繰り返す姿は本当の家族から虐待受けてた?と思った。加えていつもと違うシチュエーションになってしまったという焦りも?

救急箱を探すお父さんが隣の部屋に入ろうとし、お母さんが制止したのは入って欲しく無かったのでしょう。本当の家族(御仏壇)がいる神聖な場所に。偽り家族の写真もリビングで撮ってるしお母さん以外の3人はLDKとトイレぐらいしか居た事ないのでは?

お母さんが割れたお皿で切った修平の指を握るのは本当の息子にしてあげてた事で修平は「昔からやってくれるよね」と言うけど願望を事実にすり替えた瞬間かと。握る行為に始めは「何それ」と言ってた妹もお修平のセリフに合わせて「そうだったよね」と演じ続ける

お母さんは実の子供達とは死別したと分かりますが、お父さんは奥さんと娘との関係性が分からない。ただ会えない状況なのは分かる

煙草を吸いながら本当の家族写真を見つめるお父さん。仏壇の本当の子供の写真を見つめるお母さん。そして妹の3人は過去の辛い事実と今の偽りを認識しながら偽り家族を演じてるけど、修平だけは母を求めるあまり架空の家族を本物と記憶を書き換え今を生きてたのかな
隣人と出会うまでは…
そして徐々に本当の記憶が甦ってくる
十字架?キリスト?妹?他人?…母との繋がり求めた受話器の音が切れた瞬間《本物の家族になりませんか》の文字の記憶で現実に戻る。電話ボックスは無かったんだと…

最後の暗闇から始まる食事は修平が過去の辛い記憶を受け入れた上で今度は認識しながら偽り家族を楽しむ道を選んだ決意を表したのかな。毎回同じ料理に同じ台詞で家族を演じ幸せを疑似体験して生きる活力にする為に
(お父さんが小バカにしたような「普通か」に対しチッという目の妹とのやり取り無くなってたけど)

ここからは沢山ある疑問を…
・修平が愕然としながら家を出る時、写真を手にして たのに外に出たら手ぶら。写真はどこに?
・水子の戒名は名前が無い状態ですよね?とすると家族写真の前に置かれた女の子の写真の意味が分からない。もしかして隣人の幼少の写真だったりして(右手で人差し指を上にする動作が似てる)
・隣人の旦那がなぜ無愛想なの?(偽り夫婦かと思った)
・電話ボックスに子供がいる場面ではいつも飛行機の音
・お父さんが冷蔵庫開けてお酒出さなかったのはお酒で失敗した過去ある?妹が「マジないわ!」と言った時、修平に向けて言ったと思ったけどお父さんが「ゴメンゴメン」と返事したし
・お父さんの醤油取っては奥さんに甘えたい願望を叶えてもらってる?それとも亭主関白?
・妹が唐揚げ食べないのは昔太ってて嫌な思い出ある?
・何度も来た隣人がようやく挨拶できたという事は土曜日以外お母さんも住んでない?
・隣人は犬が家の中に入るの見越してわざと地面におろした?(普通なら抱っこしておくよね)
・隣人はこの家族ニセモノと知ってる?(意味ありげなお若いですね発言とお父さんのこと清原さんて知ってる)
・やり取り聞いてると実はお母さんも隣人もお互いを知ってる?
・修平もなつみもお母さんの本当の子供の名前(付けたかった名前)で皆お互いの本名知らない?
・壁に貼ってある食器棚の絵の違和感
・家族写真の修平と妹の並びと一人で写ってる子供の写真の並びを逆にしてるのには意味がある?
・電話ボックス無い時に左向きに走る電車は教会から家族へ向かう未来への道しるべ?(エンドロールでは逆向きだった。電話ボックスあるし偽り家族なる前の修平?)

毎週土曜日に集まるこの偽り家族はお互いがお互いの必要とする人物像を演じ自分自身が壊れない為の安息の場を作っているのでしょう
海外では自分の辛い経験や想いを吐露し、前に進み幸せを掴む為の一歩となる集会などありますが日本ではまだ少ない。そういった意味ではこの偽り家族は新たな集会の形なのかもしれない

こんなに何度も時間をかけて観た映画は初めて
短編どころか超長編になりましたw
私の疑問が明らかになる事はないんですけどね

監督曰く、「答えはない」
想像と解釈の自由な映画