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ケイコ 目を澄ませてのYKのレビュー・感想・評価

ケイコ 目を澄ませて(2022年製作の映画)
4.0
舞台は2020年ごろ。ケイコは、聴覚障害と向き合いながらプロボクサーとして活躍する女性である。またボクシングか・・・また手話か・・・そしてコロナ禍か・・・と思わなくもなかった。ボクシングは邦画で割とあるあるなモチーフだし、手話映画も最近増えてきている。コロナを扱うのは、それだけでなんか今っぽい。しかしこの三要素は、予想よりもうまく結びついていた。コンビニの店員がケイコに「ポイントカードお持ちですか」と尋ねるシーン。聞こえないのはもちろんだったが、マスクのせいで、何かを言っているということすらケイコには伝わらない。聾者に対する無自覚な行動、しかしそれはコロナ禍だから、というジレンマを意識させられた。また、試合では相手のセコンドが映される。激しい指示と熱い応援。対してケイコ側のコーチたちは、じっと彼女を見守るしかない。ケイコは1人で戦っている。そしてこの熱気に包まれた会場は、ケイコにはどう見えてるんだろう。そんなことを想像させられる。

この映画の特徴の一つは、16mmのカメラで撮影された画面の質感だ。撮影フロー上の都合などもあったというが、監督曰く「普段見ている風景から新しい印象を受け取ってほしい」とのことだった。それはケイコの物語を通して、今まで目に見えていなかったものが見えはじめる観客の体験、さらには、ケイコ自身が他人に目を向け想像力を広げていく過程に通じている。

こう書いてみると、「想像」というものがこの映画の1つのテーマかもしれない。映画は古びたジムに鳴り響くトレーニング機器の、黒板を爪でひっかいたときのような音からはじまる。なんでこんな嫌な音を大音量で・・・と一瞬思ったが、これも耳が聞こえる我々だから感じるんだと、ファーストシーンから「想像」させられる。劇中には、そんな想像の答え合わせのようなものがモノとして登場。ケイコの家族が撮影した試合の写真、ケイコが毎日つけていた日記の中身・・・。耳が聞こえない代わりに目が良いと言われるケイコだったが、そんな彼女にも見えない、というより見ようとしていなかったものが次々と浮かび上がってくる。それが彼女にとっての想像だ。特にラストはその「想像」を一言で言い現わした名シーンで、どこか現代日本らしさも感じさせつつ、良い邦画を観たとしみじみ思わせた。

☆東京国際映画祭
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