身近に聴覚障害者はいないけど、この映画を見て、初めて身近に感じた。なんて言うと、いかにも程度が低いようだが、本当のことだ。
ボクシングを描いているようで、実はそうでない、と言いたいところだが、やっぱり、ある意味ではボクシング映画でもある。その点では、北野武監督のキッズリターンを思い起こさせる。ボクシング(に限らずすべて)は、実際、圧倒的多数のチャンピオンを目指してもいない人びとに支えられているわけだ。
それは、野球やサッカーでも、あるいは、将棋、歌手、さらに、いろんなこと。まあ、才能と運があれば、チャンピオン、だけど、それがなければ、誰もやらないのかというと、そんなことはない。いや、そんなことはない人の方が、圧倒的に多いはずだ。
じゃあ、なんでやるの。たとえば、ボクシング、なんでやるの。主人公の小河ケイコが、ちょっと、休みたいと思ったのは、そういうことかも。
ありがちなストーリーだと、ハンディを抱えながらでも、頑張れば、チャンピオンに成れるんだよ、みたいな話。結局、そういうのって、その流れを作っておいて、自己責任だ、という落ちに、本人を追い込んでしまうのである。
ひょっとすると、小河ケイコは、足立ボクシングジムがなくなったら、ボクシングは止めてしまうかもしれない。それでも、個人的にトレーニングはするかもしれない。会長さんやトレーナーと繋がり続けて、トレーニングはやるかもしれない。運がよければ、近くのジムで受け入れてくれるかもしない。でも、そんなんで、全然いいのである。
目を澄ませて、というのは、会長さんが、あの子は、目がいいんです、という言葉から来ていると思う。あの子なら、そういうことに、気付いてくれる、という意味だ。
ボクシングをやることによって、会長さんやトレーナーは、仕事だからだけど、なんとか勝たせようとする。試合になると、対戦相手がいる。試合を成立させるいろんな関係者がいる。まわりの人たちは、はらはらしながら、その試合を見守る。
ボクシング(に限らないけど、すべて)は、そういうことだろう。
そんな場所に、もちろん、聴覚障害者がいてもいいはずだ、などと思わせてくれるとすれば、この映画はとても成功していると思う。