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ケイコ 目を澄ませてのよどるふのレビュー・感想・評価

ケイコ 目を澄ませて(2022年製作の映画)
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日本語字幕付き上映版を鑑賞。縄跳びの音。スパーリングの音。機械の音。それらの音が同時に聴こえてくるのではなく、次第に重なってくる。観客にボクシングジムを知覚させる冒頭の演出は、日本語字幕付き上映でも字幕でしっかりと表現されていた。

最初は手話の字幕を「手話→黒バックに白文字(無音)」という感じで見せるので、この方針で最後までいくのかと思っていたら、手話と同時に画面の下部に字幕を表示する手法も採られていた。このようにして、手話による会話の進行させるリズムを場面によって違えているのだ。

日本語字幕付き上映版で付されている字幕と、元から付いている字幕とでは、きちんと異なるフォントの文字が使われていた。そして、そんな日本語字幕付き上映版でも、ケイコが同じ聾者の友人たちと会話するシーンでは字幕が付されていないのは、演出上でも重要なところだ。

本作において特筆したいのは、聾者であるケイコの周囲にいる人物たちによる「ケイコとコミュニケーションをするための方法」が多様なところである。手話はもちろんのこと、ボードに手書き文字を書く方法や、タブレットへ音声入力を行って起こされた文字を見せる方法もある。

それと同時に、ケイコとコミュニケーションを取ろうとする者たちの意志のグラデーションも描かれている。職務質問をしてきた警官たちはケイコが聾者であると知るやいなや対話を放棄する一方で、ケイコの弟の彼女は、覚えたての手話で対話を試みようとしてくれていた。

そんな「作品の中心人物にいる聾者への向き合い方を描く」という点においては、『聲の形』を連想した。後半、登場人物の中に視力を失っていく人物がいるのだが、その人物が「耳を澄ませて」いるシーンに至って、ようやくタイトルの「目を澄ませて」の意味を理解した次第。

以下余談。辞書を引くまで勘違いしていたのだけれど、「ある物事に気持ちを集中する」意味の“澄ます”という言葉は、耳だけにしか使えないと思っていたら目の場合にも使えるんだね。“目を凝らす”は見聞きする機会が多いけれど、“目を澄ます”は、新鮮な言葉の使い方に感じた。
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