土偶

PLAN 75の土偶のレビュー・感想・評価

PLAN 75(2022年製作の映画)
4.4
人間は道具を使うことで不可能を可能として進歩してきた。
素手で倒せない相手も棒を使えば倒せるし、棒で倒せない相手も刃物なら倒せる。そして弓矢、銃、戦車、ミサイルと当初は獲物に対する攻撃手段だった武力装置は自然を征服し終わったあとは、戦争という名で呼ばれる同種間の縄張り争いに使用されるようになった。
そういった武力装置の発達は人がマンモスを狩るといったような、物理障壁を乗り越えるだけでなく、素手で人を絞め殺す際に感じるであろう精神的障壁よりも遥かに高いはずの何百人の犠牲者が出るはずのミサイル発射の精神的障壁をボタンを押すという単純作業に置き換えることで乗り越える出来るようになった。
こういう形での暴力装置のひとつの発展系がこの映画の中に登場するplan75であろう。
それは楢山節考の時代から意識下で持ち続けてきた、75歳以上は邪魔なので殺す。という明確な意思表示とその実現に伴う罪悪感や拒否感やとまどいを国民全員で分け合うシステムだ。
人間は自由平等博愛といった思想的なものから医療工学に至るまでそのテクノロジーを自らの群れの中で弱い存在を守り生きながらえさせるために発展させてきた。
本来医療は群れの構成員であった経済活動のポテンシャルが下がった高齢者をケアする目的も大いにあったはずだが、このPLANT75は今までの群れの構成員にあった高齢者を群れから追い出すだけでなく、財政的負担を消費するだけの殲滅対象の敵対勢力として位置づけるものでもある。
高齢者が孤立した社会においてはPLAN75の申し込みをする高齢者ににこやかに対応することができた市役所員の男性とコールセンターの女性といった若者世代も自分の叔父であったり仲良くなってしまった高齢者がPLAN75を選択するのに悲しみを覚える。
結局自分たちの群れの境界がどこなのか自分たちの群れの中にいるのは誰なのかという問題になってくるのだろう。
弱者を守るために発達してきたテクノロジーが本来の群れの境界を引き直して弱者を垣根の外に追い出し強者だけの群れを構成するように発揮される社会では、そのテクノロージ自身が発展の方向性を変えるだろう。
歴史上そういった方針を取った国家、例えばスパルタやナチスドイツなどは当初はうまくいっても結局滅び去った。
そういった意味でこの映画のような社会は洗練された形のディストピアだし社会全体の滅びのカウントダウンの始まりのように思える。
映画自体はとてつもなく重苦しくて見ている我々に感情移入させないほどにドライで客観的な描かれ方をされていたように思う。
途中コールセンターの女性が突然カメラをまっすぐに見てこちらに視線を向けるシーンがとても印象に残った
これを面白かったと言っていいのかどうかわからないがとにかく目を離すことができなかったし。とても怖かった。
ホラー映画の定番でゾンビよりも宇宙人よりも結局人間が一番怖いという結論があるが人間が集団になることで発揮する怖さというものをひしひしと感じた。
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