劇場で観てたら多分もっと受け取り方違ったんだろうな。しくった。
『PLAN75』という制度上で、そこに関わる人の群像劇。テーマ性からかエンタメ感を排除していて、接触もすれ違い程度に収める感じに好感を持てる。
生きていれば綺麗なものはあるし、やり切れないくらい虚しいものもあるので、生きる=〇とか、死ぬ=×、とかいう二元論では中々オチはつけにくい。そこの死生観をしっかり丁寧に考えられるよう撮られているのすごいなと思った。
「死にたい」と言うと「生きなさい」と大体返ってくるの、「助けて」と言われて「頑張れ」って返す位、返答としてのズレを感じるというか、国語のテストだったらペケなんじゃないかなって思うことが多い。
例えば「PLAN55」なら、「PLAN25」があったら?
死ぬこと殺すことの正当性を考えられるなら、生きること産むことの正当性も対になって出てきてもいいと思うのだが、、