HironoriTanida

ハートブルーのHironoriTanidaのネタバレレビュー・内容・結末

ハートブルー(1991年製作の映画)
4.7

このレビューはネタバレを含みます

映画 『ハートブルー』(原題: Point Break)

この作品は、社会主義(FBI)と自由主義(サーファー集団、銀行強盗集団)の対比・問いを著していると考えることができる。社会主義(FBI) が社会主義特有の規律性・管理性を元に法律をもって、自由主義(サーファー集団、銀行強盗集団)
を裁こうとしている。しかし、自由主義 (サーファー集団、銀行強盗集団)は自由主義特有の個々の幸せ、快楽を追求するために、それに反する規律社会・管理社会を生む社会主義(
FBI)に逆らい資本主義の象徴とされる貨幣を保有する銀行を襲う。またサーフィンというスポーツ自体も、直感や本能で常に変化している波を感じるという部分が、「自然との調和」→「本来の人間の姿」をあらわしており、規律社会・管理社会からの脱却を意味していると考えることができる。またFBIの捜査官であるパパスが自由主義(サーファー集団
、銀行強盗集団)を幽霊と呼ぶシーンには、「自由主義(サーファー集団、銀行強盗集団)
=幽霊」「幽霊=死んだ魂」「死んだ魂=死んだ思想」→「自由主義=死んだ思想」つまり、社会主義(FBI)からの「自由主義は古い思想で社会に必要ない」というメッセージとして読み取ることが出来る。また、両者の間で揺れ動くジョニー・ユタは社会でさまざまな思想に振り回される国民の様である。ラストに捕まえたボーディを海に解放し、ジョニー・ユタがFBIのIDを海に投げ捨てるシーンがあるが、それは、犯罪者を規律から解放し、自らの身分を捨てたことで、規律社会・管理社会からの脱退思想、つまり自由主義を選んだことをあらわしている。