モダンやね
進んでる映画
戻ってはいない
感覚的な話し、ジョーダン・ピールは映画的な制約を運動としての映像の中に見出すのではなく、むしろ脚本(内容、物語、一枚絵のイメージ、メタファー…)と向き合う中で見出しているような部分があるように思う。
映画とドラマの境界線が曖昧になりつつある現代において、これが一歩進んだ解釈、イメージの構築になっている(もしくはそうなる可能性がある)ことの期待から、今後も追い続けたい作家。
見た後で知ったけど、撮影監督ホイテ・ヴァン・ホイテマだったのか。なるほど、なるほど。
アリ・アスターもどうにかせんといかん(?