意外と男性批判の映画ではない気がするな。今時男性批判だけをメインにした作品で行こうと作り手が考えたなら浅すぎる気がする。
ヤバめの男達に目が行きがちだが夕暮れのパートナーとのシーン、あれこそどこか現実味を感じない、捏造まじりの記憶をどろーんとした色合い、風景に重ねてるのかなあ。100%死ぬほど高層階でもなさそうだし。嘘がありそう。
男に頼らない自立したワタシ、の割に服装がピンクで乙女チクネ🌂プロミシングヤングウーマンのあのころで時が止まっている演出に子供っぽい服を着させる類似性を感じる。彼女の精神性は大人ではなく少女の可能性もある。
あとラストナイトソーホーののっぺらぼうね、女を消費する男達の没個性化。ただ今作の男達はただのカッペか妄想の可能性もありそう。
他に女のいるシーンはおそらく現実なのだろう。それ以外はどうとでも解釈できそうだ。
プロミシングヤングウーマンのようなフェミニズム堕天使として、ある種の幼児性、糖質一歩前の思い込みから田舎の人々を成敗していた話、というのはどうだろうか。最後、またやっちまったぜとくたびれて座ってる。
おっさんの裸なら笑い物にして良い、ネタにして良い。というルッキズム。もしくは女も、社会もおっさんにそういう汚い役割を押し付けているという皮肉なのかもしれない。