分かるような分からないような作品だった。メタファーかと思えば、それが文字通り現れてくるというか。
ともあれ、ひたすら有害な男性性の気持ちわるさが描かれており、同じような顔で、同じような言葉で、お前が傷つけたのだと言ってくる。
その暴力性はおそろしいものだけど、繰り返し再生産される様子はひたすらにグロテスクであり、引いてしまう。
その点で、観るものはハーパーと同様の目線をもたされることになるわけだ。
それゆえに、さいご、傾聴の姿勢を取ったハーパーの、話を聞いたあとの表情はよいと思う。あれは、コミュニケーションの可能性が磨耗してしまったがゆえの、疲労の顔だろう。
また、気になったのは、ハーパーの声が反響により自動性を獲得し、純粋に音声の平面に移ってしまうことと、ハーパーの叫びと音楽が重なるところ。視覚的平面と音声的平面の並行性や干渉(なのだろうか)については、今回は分からなかったけど、興味深かった。
ところで、ハーパーのよき友人が身ごもっているのには、なにが託されているのだろう。