阪本嘉一好子

ファルハの阪本嘉一好子のレビュー・感想・評価

ファルハ(2021年製作の映画)
5.0
有料配信を持っている人の家で観せてもらった。感謝感激。
『inspire by true events』となっているので、注意する必要がある。個人的にはこの言葉に注意して映画を見る。“Inspired by a true story” means a real person or event (or events) only triggered the idea for the script, but does not follow the trajectory of the true story. (INK and Cinema) Google 訳で
「実話にインスピレーションを受けた」とは、実在の人物や出来事が脚本のアイデアのきっかけとなっただけで、実話の展開をたどるものではないことを意味します。」https://www.youtube.com/watch?v=fvxgi-_WMik
予告編

それに、「1948年、パレスチナで」と字幕に。これもまことに重要。私、個人はこれを史実として理解している。

なぜかというと、国連(総会決議273号。)がイスラエルを多数決で国として認めたのが1949年の5月だから。それより一年前にイスラエルは建国したと。その前にイギリス撤退後、エジプトがテレアビブを攻撃している。アラブ人の侵攻が予想されていたにもかかわらず、アメリカ合衆国もイスラエルを国として認めた。私はHistory(A&E Television Networks) というHP(偏見が入ってるかもね)をよんで付け加えているが、「この時代から」すでに複雑なのでかなり調べないと分からないからここでやめる。勝手に思うが、一言、パレスチナはイスラエルとアラブの餌食になったのかもね。
https://www.history.com/speeches/israel-admitted-to-the-united-nations (History: Speeches and Audio)

この時代の話を監督が聞いて作品にした様だ。解説者ではなく、監督のインタビューを探して聞いてみたい。最後のところで字幕に、この少女、ファルハは(Radiyyehが本名)はシリアに渡れたとのことで、この話を聞いて、映画にした様だね。父親は見つからないと。殺されたかもしれないと。

この映画はアラブ(パレスチナ人)のの父親アブ役(性格俳優アシュラフ・バルフム)とファルハのおじ役、アブ・ワリイッド(名優アリ・スリマンAli Suliman as Abu Walid)が重要な位置を占めている。なぜかというと、父親は伝統的な身支度から見てもわかるが、アラブ派、アラブの軍援助を期待して、一人娘(ファルハ)を納屋に閉じ込めても、シオニズムと(当時、イギリス軍もシオニズムに加担していた。この逆もまさに真なりかもしれない)戦いに行く。娘の教育に対しても、溺愛しているのがわかるが、頭の中は『norm』に縛られている。この当時の日本語の『当たり前であり、普通の』現状維持の打破の手助けをしたのが、ファルハのおじ役、アブ・ワリイッドなのである。この服装は洋風のシャツにサスペンダーとズボン、それに腕時計。(この腕時計が私にとって鍵になる存在)町の学校の6年生に進学させる決断を父に与えた存在の人である。ファルハ自身も教育に、(女性教育)目覚めたのである。友達ファリーダと彼女
にもらった本(Shaima Hassan)の影響力も大きかった。最後まで持っていた本の切れ端に残っていた「My Dear Friend.....」は、ファルハをどんな気持ちにさせたろう?入学証明書が大事であったが、それはもうこの時にはなかった。、ファルハが最後まで手にしていたものは父親からのナイフと友達の「親愛なる友に」なのだ。

アブ・ワリイッド(アリ・スリマンAli Suliman as Abu Walid)の存在も、裏切り者と簡単に言えない。苦渋の選択で、シオニズム(ここではキッパをかぶっている兵士が撮影されている)とイギリス兵側(英語を話している)の案内役(通訳)にまわった様だ。彼が、ファルハの潜んでいる 納屋の隙間から「ファルハ」と呟いたシーンが強烈で圧巻だった。そこの隙間からちらっと腕時計が見えた。彼自身も断腸の思いのはずだが、そこで、裏切り者とみなされるような行動をファルハに見られたからだ。ファルハの『おじ』に対する尊敬の念が一変になくなってしまったシーンなのだ。二人の絆が.....

そこに、また、赤ん坊を殺すように命じられた、若いシオニストも人間の心があっても、苦渋の決断で、布切れを赤ん坊の顔に。

悲惨であり、これがなおも、ウクライナ・ロシアで、ガザ・イスラエルで続いているわけだ。私たちは、軍拡より、外交交渉術でこれ以上の凄惨を避けて行かなければならないと改めて感じた。