【軽やかに/”人”や”社会”というもの】
この作品はとても面白い。
ただ、その面白さがレビューで伝えきれるか正直なところ自信はない。
生きていたら、乗り越えなくてはならないことは沢山ある。
途中、そんなふうに考える。
確かに、それはその通りなのだが、いつのまにか、いや、乗り越えなくても良いんじゃないかとか、やり過ごしたって良いじゃんとか、時には軽やかに生きたいよなみたいに思い始める。
この作品は、さらっと救うというか、ふふっと軽やかにしてくれる。
もしかしたら、これは、僕だけの印象なのかもしれない。
この作品は、ある大きな出来事で展開が加速するけれども、同時に社会が内包したり、人が心に秘めたりしている”イヤ”な部分を、かなり沢山散りばめるようにプロットして、自分や自分の周りと対比したり重ねて合わせて、人は、常に合理的、或いは、道徳的ではいられないし、それでも、その中で、解を求め、見つけられようが、見つけられまいが、全部飲み込んで生きていくものだと、そして、決して重くならなくて良いのだと伝えたいのではないのかと感じた。
(以下ネタバレ)
前段で、ある出来事で展開が加速すると書いたが、これは敬太が亡くなる事故のことを意味しているのだけれども、エンディングに向かう中で、更にある出来事をきっかけに、物語はまた加速する。
雨の中での妙子のリズムに合わせた踊り。
なぜ静かに、軽やかに踊ったのか。
バカバカしいからではない。
こんなものなのだと思ったから。
そして、それで良いからだ。
最後に訪れる静寂は、あくまでも僕の中では、救われた感じだった。
ここの感想は分かれるかもしれない。
人間なんて、そして、人間が形作る社会なんて、偽善やら、欺瞞やらが渦巻いていて、自分もそんな中の構成要素に違いないのだ。
言葉では善意と主張しようが、隠れたところで自分の利益になるように調整したり、もしもの場合に備えてこっそりヘッジしたり、善意と称して嘘をついてみたり、ブラフで相手を試してみたりしているのだ。
これが僕たちの世界だし、僕たちそのものなのだ。
それを、そんなものだと、戦わずに、たまにはやり過ごしてみるのも良いかもしれない。
そんな風に感じる。
そうすれば、逆に、本当に戦わなくてはならないものも見えてくるかもしれない。
賞レースの邦画としては、「ベイビー・ブローカー」と競う作品が出てきたと思った。
また、木村文乃さんの代表作にもなると思う。
砂田アトムさんにも注目して欲しい。