calinkolinca

さかなのこのcalinkolincaのレビュー・感想・評価

さかなのこ(2022年製作の映画)
-

「男か女かはどっちでもいい」

冒頭、筆文字でスクリーンにばーんと出るこの言葉に思わず吹き出してしまった。
だって、まだ物語は始まってさえいないけれど、この映画のモデルであるさかなクンに、そしてさかなクンを演じるのんさんを表すのにこんなにもぴったりなことばがあるだろうか。ふたりともまさに、男とか女とか超越した存在のように感じる。

映画が始まり、ミー坊と不良たちのやりとりに、劇場のいろんなところからワハハと笑い声があがる。みんなで同じ映画を見て、みんなで同じタイミングで笑う。そんな体験をしたのは十何年も前、「かもめ食堂」を見たとき以来で、私はそれがなんだかとても嬉しかった。

さかなクン演じるギョギョおじさん登場はいらなかったのではないか、という声もあるけれど、私はさかなクン=ミー坊という稀有な存在を説得力あるものにするには、全国にいるだろうさかなクンになれなかったギョギョおじさんの存在は不可欠だったように思った。誰もがさかなクンにはなれるわけではない、だからこそ好きなものを好きでい続け、なおかつ人にも恵まれたさかなクンの奇跡のような存在性が際立ったのではないかと。

誰もがなれるわけではない、けれど好きなものをずっと好きでい続けるのはこんなにも素敵なことだし、もしかしたらあなたもそうなれるかもしれない。ふりかけられたひとさじのビターでその相反するメッセージがちゃんと成立してるのがさすが沖田監督、ただのファンタジックな作品では終わらせないな。と唸りました。

私が特に好きだったのは、柳楽優弥さん演じるヒヨくんの顔色が、ミー坊を馬鹿にした態度をとった恋人の前でみるみるうちに変わっていったシーン。あのワンシーンだけで、ミー坊のいちばんの味方であるお母さんが「この子はさかなが好きで、それでいいんです」とずっとミー坊の味方でいた意味がわかってしまうような。ミー坊のそばにいれば、ミー坊はそのままでいて。みんなはそうはいれなくても、ミー坊だけは変わらずにいてほしい。そんな風に願わずにいられないんだ。

ラストシーンがまた素敵だった。男とか女とか関係ない、そして、もっと言ってしまったら種族さえも関係ないんだ!そんな、監督の声が聞こえてきた気がした。
calinkolinca

calinkolinca