あまりにも酷い社会はどんどん悪を産み出す…。
疲弊した社会になってしまうと、誰もが自分だけの利を求めることが当たり前になってしまい、どんどん悪を許容するようになる。
究極は他人などどうなってもいい…、社会なんてどうなってもいい…、地球なんてどうなってもいい…。
自分さえ良ければそれが正解なんだ…。
そんな思考が社会に蔓延ってしまえば、あらゆる犯罪や争いが多発するようになってしまうのは自然なことと言えるだろう。
確かに「社会が悪い。」と、断言することは出来るのだが、その社会を形づくっているのは、結局はその社会に存在している一人一人の人間でしかない…。
ここで大事なことは、
社会が悪いから自分も悪に加担してしまうのか?
それとも、社会が悪いから自分は悪を憎み悪を拒絶するのか?
どちらを自分が選択するか?によって、その先にあるものは全く違う人生になる…。
幼い頃に人生の岐路を迎えたアハンナは、悪なる社会に絶望し、最後の一線だけは守ろうとしながらも悪を許容し悪に寄り添い、この社会で生きていく道を選んだ。
結局、アハンナの選択した先にあった結末は…、それが選択の結果として待ち受けていたものであり、当然の成り行きだったと言える。
社会が悪いのは、一人一人が悪を許容しその社会が当たり前だと認識してしまうからだ。
自分たちで悪を許し、悪に加担し、悪なる社会を創り出している…。
そんな社会の結末は誰が想像しても良い未来を描くことが出来ない。
一人一人が悪を許容しない選択をしていかない限り、良い社会にはならない。
誰もが悪に慣れてしまった現実は、これからの社会を暗示している…。
そんな社会にならないように踏みとどまるには、一人一人が悪が当たり前にならないように意識するしかない。