雑記猫

ザリガニの鳴くところの雑記猫のレビュー・感想・評価

ザリガニの鳴くところ(2022年製作の映画)
3.6
 1969年、ノースカロライナの湿地帯で裕福な家の青年チェイス・アンドリュースの変死体が発見される。この事件の犯人として勾留されることとなったのは、この湿地帯に一人で暮らす女性・カイア。両親に捨てられ、湿地帯で一人孤児として生きてきた彼女の人生が少しずつ紐解かれていく。


 チェイスの死は事故死だったのか、殺人によるものだったのかというミステリー。そして、陪審員を務める町の人々から奇異な目で見られる女性・カイアが、無実を勝ち取ることができるのかという法廷劇が本作の物語の縦軸である。ただ、全体として見ると、そういったミステリーやサスペンスの要素よりも、類まれなる才能を持ったサイエンス・イラストレーターであるカイアの人格がいかに形成されていったのかという伝記映画的な要素の方が強い(フィクションに対して、伝記的という表現は適切ではないかもしれないが)。学校に通うことができずに文字も読めなかったカイアが、幼馴染のテイトから読み書きを教わり、徐々に生物学にのめり込んでいく姿が瑞々しく描かれている。近年で言うと『アンモナイトの目覚め』などが感覚的に近いのだが、一つの道に没頭する職人を描く映画というのが世の中には一定数存在しており、そういった映画でしか味わえない心地よさというものがある。本作もその系譜にある映画で、美しい湿地帯の自然の光景、その自然の観察と探求に没頭しイラストを描き溜めるカイアの姿、そして、劇中で多数登場するカイアが描く湿地帯の動物たちの美麗なイラストが合わさることで、物事を学び極めることの奥深さや楽しさを味わうことができる。


 本作は現在のカイアを巡る法廷劇と、カイアの半生を描く回想が並行して描かれる。カイアは、担当弁護士のトムの尽力とは裏腹に、彼の弁護にさほど協力的ではなく、さりとて、罪状は認めていないという掴みどころのないキャラクターとして劇中に登場する。登場してしばらくは観客も、彼女を取り巻く町の人と同じように、彼女を得体の知れない謎の女性として見てしまうこととなる。しかし、前述の彼女の湿地帯の自然への探究心と、彼女が置かれた過酷な半生が丁寧に描かれることにより、最終的には劇中で”世捨て人”とも称される彼女の特異な人生観や価値観の一端が理解できるようになる。それがゆえに、彼女への判決が決定するクライマックスの緊張感は非常に高く、手に汗握るものとなっている。


 というのが、ラスト1-2分前までの感想なのだが、本作は最後の最後でとんでもないどんでん返しが用意されている。このラストのどんでん返しは、これまでの話を全て台無しにしてしまうようなものであり、「ここまで観てきたものって、なんだったんだよ!」と言いたくなってしまう。だが一方で、自然の中で一人孤独に生き抜いてきたカイアが、その結果、人の理からは外れた野生の境地に達していたことを、観客の胸ぐらにグイと突きつけるラストにもなっており味わい深くもある。個人的には主に結論まわりで賛も否もある作品なのだが、カイアという一人の天才イラストレーターの人となりを深く描けていることと、主演のデイジー・エドガー=ジョーンズの稀有な透明感を加味して、ギリギリのところで賛に振れる作品と言いたい。
雑記猫

雑記猫