あんしん

EO イーオーのあんしんのレビュー・感想・評価

EO イーオー(2022年製作の映画)
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EO(イーオー)というのはおそらくロバの鳴き声に由来する名前なのだけれど、クマのプーさんに出てくるイーヨーとは別に私が思い出すのはニーチェの『ツァラトゥストラ』に出てくるロバの「イーアー」(いいなあ)という鳴き声だ。

ツァラトゥストラに見出された「ましな人間」たちがツァラトゥストラの目を離れた途端に偶像崇拝を始め、なんでも「イーアー」(いいなあ)と答えるロバを崇める、という第四部の「驢馬祭り」はコミカルでもある。本作でも、サッカーチームの勝利に貢献したからとEOを祭り上げたのも、敗北した方のチームがEOを殴打したのも、人間の愚かさのある種両面を描いているといえる。

ただ、EOの、ロバの視点を借りて語っている(あるいは黙している)のは監督に他ならないということは忘れてはならない。ロバの世界はロバの「世界」であって、ロバがフィードバックループのうちで相互に作用しあっているところの「世界」はそのロバにとっての「世界」であって、私の見る「世界」とは異なる。ロバの世界と私の世界と、それから他の「主体」がいるが、それぞれにとっての世界を包括するものとしての「世界」は究極的には存在しないからだ。一頭のロバの視点を想像し、寄り添うことはできるけれども、あくまでそれも映画の表現でしかない、という距離感は必要だ。

では、そのロバの感情を、あるいは他の動物種の感情を、どこまで作り込んでいるのか、つまりやりすぎではないか、ということだが、かつてサーカス団で可愛がってくれていたカサンドラのことを想起するようなシーンだけは例外として、おおむね距離感を保っているように思われた。このEOというロバは怒っているのか、怯えているのか、喜んでいるのか、といったことも、そういう方向性のあるものとして与えられはするものの、観客にとっての「鏡」はさほど曇ってはいない。ときに観客が己を投影してしまえるほどにEOの位置は「空無」だが、同時にそこに一頭の「生き物」がいるということを忘れさせるほどの突き放し方も当然していない。映画の末尾で本作が動物と自然への愛から生まれた作品だという言葉が挿入されているが、バランスを保った「愛」だと思う。

黙し、いななくロバと対照的に人間の暴力性や醜さといったものが浮き彫りになっている。随分勝手なものだとも思うが、どこかEOの姿は超然としているようなところもあって、「イーアー」、それもいいなあ、と言っているようでもある(というのは私の投影でしかない)。

観賞して少し長く感じるのは、ひとつはおそらく普段観慣れている映画に流れる速度よりもゆっくりした速度で描かれるからだと思う。ロバを撮っているのだから、それはもう、人間の普段の生活や人間を撮った映画よりは「遅く」なるよ、という。退屈に思うかそうじゃないかというところで分かれるかもしれないけれど、映像的に見ていて愉しいカットが挟まることもあるし、音楽も凝っていて見応え聞き応えがある。

正直このような映画は観たことがない。ただ言えるのは、動物愛護やその倫理は動物をただの「鏡」としてしまわないこと、動物の気持ちは「わからない」けれど、わからないことをわからないなりに受け入れるという態度からしか始まらないのではないか、ということです。
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