このレビューはネタバレを含みます
グランドシネマサンシャイン9番スクリーン
ココ最近テンポのいいカラッと乾いたコミカルな洋画を見ていたぶん、しっかり沈むところまで沈めた気がする。
この作品で感じたのは「有と無」だ。
仲の良かった少年レオとレミの2人組は周りの目を気にして、一方的にレオが距離を置くようになる。それを寂しく思うも、溝は深まるばかり。ある時、レミが死んだ。死因までは明かされてないが、行方不明になったと言及されていたため、自ら命を絶ったのだと思う。強烈に責任を感じるレオ。いくら自分を責めたところで彼はもういない。
レミが亡くなった後、2人の家族でご飯を食べるシーンがあって、レオの兄が勉強を親から心配されたり、大学に行った後旅行に行きたいと話を始めたりする。そこでレミの父が泣き始める。
レオはクラスメイトに誘われてアイスホッケーを始める。試合の時、相手選手とぶつかって、腕を骨折してしまう。ギプスを当て、包帯を巻いてもらうシーンでも、レオは泣き始める。
この2つの涙には共通して言えることがある。それは、生きている(この世に存在している)という意味での「有」が涙のトリガーだということ。死んだレミはレオの兄みたいにもう旅行ができない。レミは腕を骨折できない。
その有と無の対比で涙が出たのかなと思った。
最後にレミの母にレオが自分が原因だと打ち明けるシーンがある。それでもレミの母はレオに寄り添い、抱きしめる。大切なものを失った時、人に優しくできるレミの母は強いと思った。
同性愛者が、世間の目を気にして生きていかなければならないのは間違いだとみなわかっているはずなのに、物珍しさからつい注目してしまう。
レオだってそうだ。あの時学校で冷やかされたのを真に受けてレミと距離を置かなければ今頃2人で花畑を駆けていたかもしれないのに。
ラストシーンはオープニングシーンの対比として、1人で走るレオの姿で終わる。複雑な問題だとは思うが、マジョリティー性を多く持つものが、歩み寄らない限りこのような悲劇は続くと思う。きっかけがこの映画でもいい。この映画じゃなくてもいい。
しっかりと個人を尊重できるような世界になって欲しいと再認識させてくれる映画だった。