ひとみちゃん

あちらにいる鬼のひとみちゃんのレビュー・感想・評価

あちらにいる鬼(2022年製作の映画)
4.8
鑑賞後調べてみたら、この作品は井上光晴と瀬戸内寂聴の不倫を、井上の長女・井上荒野が書いたものだと知り堪らない気持ちになった。

講演会で知り合った二人。「着物が洒落てますね」「あなたの現在を占って差し上げましょう」と言葉巧みに寂聴に近づき、作家としての尊敬とミステリアスな光晴に惹かれ、妻子がいることをわかっていながらいつしか関係を持ってしまう。
一方で妻はというと、光晴が関係を持った女性が自殺未遂をして入院した際は花束を持って見舞いに行き、彼に変わって散々詫びる。妻は夫が様々な女性と、(それは観ているこちらからしても病的なほどに)関係を持っているのを知りながら何でもないように気丈に振る舞っていた。

寂聴と光晴の関係も長くなると、光晴には他にも沢山の女性がいることが耐えられなくなってくる。自身は娘を置いて夫の教え子と戦後駆け落ちしたりその後その教え子とは別れていながら何故か同棲しているなどという稀中の稀な経験していたとしても、光晴の魅力にのめり込み、狂おしくなるくらいに思いを募らせる。

閉経が目前であり、自分は女としての奔放な人生を終えるという意味と、この離れ難い恋愛を終わらせなければという思いから、寂聴は出家を決断する。

最後のデートで、「髪を洗ってあげるよ」と言って一緒にお風呂に入り、それは丁寧に髪を洗うシーンには次第と涙が込み上げてきた。

妻にも寂聴が出家するらしいと何かのついでのように告げると、妻がはっと息を飲み、本当に心を痛めるようにしていたシーンも印象的だった。

光晴は病的なほど女好きだし、人の家でも酒を飲ませろというし、酒の銘柄にうるさいし、人の家なのに靴下を脱ぐ無神経さが鼻につき、私は絶対に嫌だけれども、妻と鰻を食べている場面で「出家したら魚も食べれないのだから、鰻なんて美味しいものも食べられないのね…」としみじみと言う妻の言葉に泣き出して、ああこんな無神経な男でもちゃんと寂聴のことを愛していたのかなあと思えた。

終始、妻は毅然としていながら、夫と関係を持った女性を罵倒することもなく、反対にその女性の気持ちに共感し心を痛めている。
光晴の最期も、洋服を買いオシャレをして病院へ見舞いへ行き、光晴に自分を置いてどこかへ行かないでと泣きつかれ、それをなだめる。いつだって彼を見捨てずにきているのだから何を今更。いよいよ息を引き取ろうとする前には寂聴を電話で呼ぶ。
作者はこんなお母さんが大好きだったんだろうな、と観ていてすごく感じた。
最後は、病院の屋上で泣く妻と、タクシーの中で泣く寂聴のシーンで終わった。

鑑賞後「あちらにいる鬼」というタイトルの意味を考えたが、これは光晴、寂聴、妻の3人を指し示しているような気がする。
生きながらにして死ぬと言われている出家をした寂聴、亡くなってしまった光晴、そして二人の関係を無理に壊すことなく横で見守ってきた妻。

愛は深い。当たり前が当たり前じゃない。
好きな映画だった。
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