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きっと地上には満天の星のnetfilmsのレビュー・感想・評価

きっと地上には満天の星(2020年製作の映画)
3.9
 ビスタサイズで切り取られた地下室の様子は被写体に必要以上に近づき、忙しなく動き回る。その姿は横長の画面であることを忘れさせるような性急さで、時に切迫感すら感じさせる。その様子はリトル(ザイラ・ファーマー)の記憶のように断片的に綴られるのだ。ポン・ジュノの傑作『パラサイト』を例に出すまでもなく、地下に存在するもう一つの仮想空間で暮らす人々の姿は人間の「声なき声」であり、現代社会の縮図でもある。ニューヨークの街の地下には地下鉄網が網目状に張り巡らされているが、驚くべきことにその地下鉄の更に下にも生活空間は在るのだ。母ニッキー(セリーヌ・ヘルド)は、5歳の娘リトルとここで暮らしている。5歳の娘リトルはおそらく、物心つく頃には既に地下空間の住人だったのだろう。彼女は夜空に輝く星の姿を知らない。レニー・エイブラハムソンの『ルーム』のような極狭空間に閉じ込められる深刻な理由などない。ジャンキーがしばし陥る貧困は母親を住所不定とし、彼女のそばを一時も離れない5歳の娘すらも同じ環境下に置く。ドラッグの売人のジョン(PharcydeのFatlip!!)は母ニッキーを商売の上お得意様として囲うだけでなく、彼女とリトルの身を本気で案じている。

 然しながら改心すべき母親にはドラッグ・ディーラーの忠告もあまり伝わらない。娘に翼を授けるのはドラッグ・ディーラーではなく、何よりも近くにいる母親の役目で在るにも関わらず、全ての現実から逃げ回り、光の差し込まぬ地下で暮らすニッキーにはことの重大さがまるで理解出来ない。ようやくアメリカ映画から登場したダルデンヌ兄弟やケン・ローチのような社会派映画は、行政が暗部に踏み込んだ瞬間からスペクタクルの幕が開くのだが、最下層と下層を行き来するばかりで、光の見える瞬間を立ち止まり、堪能することはない。地下鉄の扉がこれほど残酷に見えることは後にも先にもないだろう。行ったり来たりを繰り返す母ニッキーの往来は彼女のこれまでの焦燥を凝縮し提示し、観客を不意に戸惑わせる。その地獄のような時間は実際の時間よりも遥かに長く感じ、息が苦しくなる。翼が生え、地上の世界を夢見る5歳の娘は皮肉にも前後不覚に陥り、地下の世界で更なる暗がりに身を潜めるのだ。彼女の姿を見つけた母ニッキーには安堵が訪れるかに見えて、ほんの数m先の娘の姿と自身の道程とを初めて冷静に客観視する。その姿だけで十分であろう。
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