シシオリシンシ

カラオケ行こ!のシシオリシンシのレビュー・感想・評価

カラオケ行こ!(2024年製作の映画)
4.5
組長が仕切るカラオケ大会でビリの最悪の罰ゲームを回避したいヤクザの狂児と、合唱部部長でボーイソプラノの美声を持つ思春期中学男子の聡実くんが(半ば強引に)出会い、狂児の「カラオケ行こ?」の一言で歌の上達のためにカラオケボックスで聡実くんに指南を請うというキャッチーで分かりやすいストーリーラインの作品。こいつがすこぶる面白い!

主人公二人をはじめ魅力的なキャラクターの絶妙な掛け合いやキャラ萌えの可愛さで物語を引っ張り、物語が積み上げたエモさが最高潮で爆発するクライマックスで泣かせ、エピローグで幻のような青春のひとときの切なさを実感して胸がジンとなる。
文句のつけようのない傑作青春映画である。

ヤクザの狂児は人好きのする憎めないヤツでウザ可愛さとダウナーで妙な色気を醸し出すイケおじだが、筋者としての凶器や怖さが時たま滲み出ちゃう。実に魅力的なキャラクター造形であり演じ手の綾野剛にピッタリのハマり役。
合唱男子の聡実くんもちっちゃくて線が細くて銀縁眼鏡が野暮ったい可愛らしい文化部男子だが、少年と大人の狭間にいることの思春期ゆえの寄る辺なさや、狂児に戦々恐々しながらも歌のアドバイスは辛辣にだが的確に真剣に行う律儀さやひたむきさは見ていてとても微笑ましい。
この二人がカラオケボックスや黒塗りのセダンでイチャイチャ(違うけど違わない)してるところを観察しているのが観客の視点なのだが、この二人のLOVEギリギリの尊い関係性には淑女のみならず紳士も萌え狂うこと間違いなし。異論は認める!

と単なるキャラ萌え映画としても非常に完成度が高いが、この映画を傑作足らしめているのは「まぼろし」や「お別れ」というテーマをさりげなく伝えているからに他ならない。

本作後半では、ボーイソプラノの聡美くんが声変わりすることへの不安や焦燥を、少年と大人の境界線に立つ子供としての不安定さを象徴的に描いている。これまで当たり前にあった自分の歌声とサヨナラしなくちゃいけないという切実さが胸に迫る。

だからこそ物語終盤で死んだ狂児への鎮魂歌として聡美くんが歌う「紅」が美しいのだ。持ち前のソプラノが出なくなって高音に詰まり上手に歌えない歯がゆさを抱えながらも、狂児への思い出と葬送を込めて魂からの声で歌う姿は、あまりにも目映い少年期最期の輝きだった。それを聴いたヤクザたちはプリミティブで神聖なる歌声に喝采と落涙で応える。
実は死んでなかった(笑)狂児も含めて笑顔と涙のハッピーエンド。

けれどその日を境に狂児と聡実くんの関係は終わりを告げた。
ヤクザやチンピラの住みかだった南銀座の町は再開発で一新され、彼らは居場所を追われ狂児たちの組も同じく去っていくことに。
聡実くんにとってあれだけ怖かったヤクザの町もがらんどうの町に変わってしまい、狂児の面影を探して町をさまようも全ては幻だったかように抜け殻になった町が広がるばかりだ。
聡実くんにとってソプラノの歌声も、巻き戻せないビデオも、南銀座のうらぶれた町も、狂児とカラオケにいた時間も、当たり前に存在していたそれらはいつか自分のもとを去るまぼろしのような刹那だったのだろうか?
昔の人が言った「夢まぼろしの如くなり」という一節を諳じたくなるが、聡実くんは狂児のために考えた「紅」の英文歌詞の和訳(ヤクザ訳)をつぶやきながら町を彷徨する。
「まぼろしやったんやろか…?」
とつぶやく聡実くんは最後に狂児に初めて会ったときに押し付けられた名刺を見つけ「成田 狂児(狂ったこども)」という冗談みたいな本名を見つめ静かに笑い、狂児とのあの時間はまぼろしじゃないことを噛みしめてエンドロールへ。

観客も、楽しくて仕方なかった映画の幸せなひとときがいつかは幻のように去っていくという聡実くんの心にシンクロし、えもいわれぬ痛みを伴った切なさを「紅」の合唱アレンジでじんわり慰める。
青春の甘さと苦さを同時に味わうこととなった観賞後感に私は狂おしい感動を覚えたのだ。
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