Haru

夜、鳥たちが啼くのHaruのレビュー・感想・評価

夜、鳥たちが啼く(2022年製作の映画)
4.5
11月17日
完成披露舞台挨拶にて一足先に鑑賞🕊

舞台挨拶って上映前・上映後のいずれかにあるわけだけど、私は今回上映前に監督・山田さん・松本さんのお話が聞けて、その上で映画が見れてよかった。主演の2人が語ってた「愛の形」について、映画を見ることでより考察が深まったから。
(シネマトゥデイのYouTubeチャンネルで舞台挨拶のトークがノーカットで見れるので、ぜひ映画を見る前か後でもいいからそれも併せて見ることでより映画の解像度が上がるのでおすすめ)

私の1番の感想は、松本さんが舞台挨拶で話されてたことに近くて「こういう愛の形があることに対して一定の理解は示せるけど、私自身はこの形は取れないし取りたくもない」ということ。

多分この物語、誰に感情移入するかによって感想が全然変わってくると思うんだけど、私は自然と息子・アキラの立場に立って見てた。

慎一と裕子は自分の意思で結婚・離婚・そのいずれでもない形の生活を選ぶことができるけど、唯一アキラにだけはその選択権がなくて、大人達が決めた選択に従って生きていかなきゃいけないと思うと、いわゆる「型にハマらない愛」というのはアキラにとっては最も残酷な形なんじゃないかなって

あと慎一が元恋人に対して執拗に嫉妬を繰り返す理由として気になったのが、裕子の口からは慎一の小説に対して多くの言葉が紡がれてたのに対して、彼女からは一切なかったこと。
慎一にとって小説=自分で、彼女側もそれを知ろうとしない(もちろん慎一も言わない)から脆い信頼関係だったのでは?

だからこそ慎一の気持ちに目を向けてた裕子が次第に慎一に惹かれていくのはある種必然的でもあって、ただ、お互いにはパートナーがいてタイミングが合わなかったが故に歯車が噛み合わなくて、最終的に「型にハメない」形を取るしかなかったって考えるとそこが1番もどかしかったな

最後に、隣人が実は重要な役割を果たしているんじゃないかと私は思っていて、彼女から明らかに好奇の目を向けられている自覚が慎一と裕子にはあって、ということは少なからず自分達の関係性に後ろめたさもあって、普通じゃない自分達にプライドを持ちながらも、そこで弱さが垣間見えた気がした。

映画についての感想はこんな感じで、キャスティングについて触れると、本当にもう私は山田裕貴にずっとこういう人間くさい役をやってほしいと思ってたし、そのお相手は松本まりかじゃないと成り立たないって言うのは山田くんご本人も言ってたけど見てる側としても確かにそう思った

舞台挨拶でもTwitterで定期的に「闇」が垣間見える、「病み田」「病み本」の話があったけど(笑)
常々2人のツイートとか、考え方って似ている部分があると感じていて、他人からしたら簡単に片付けられてしまう想いを、分かりやすい単純な言葉で定義づけずに順を追って丁寧に自分の感情について可能な限り思った通りに正確に言語化する所とか
そうやって自分の感情にも、他人と向き合うことにも真剣で真っ直ぐなお二人だからこそ、慎一と裕子の感情を本当に2人の人物が実在したらこうなるだろうという形で至極リアルに出力できていたんじゃないかと、そう受け取った。
こう思えたのは間違いなく映画を見る前にお二人の舞台挨拶のお話を聞いていたから

時として型にハメる、あえて型にハマることも大事かもしれないけど、型にハメない、型にハマらないという選択肢もあるということを再認識できたという意味で、この作品に出会えて私はよかった。

結構制服着てる学生さんもたくさん見てたんだけど、多分大人になってから見ると印象変わるだろうから、今は「よく分かんないなぁ」「エロかったなぁ」っていう感想しか持てなかったとしても、ふと思い出してまた見た時にこれってこういうことだったんだなぁって後からピースがハマるような映画になってたら嬉しいなぁ(謎の親目線)
そして、すでに大人になってしまった自分自身も、今後いろんな経験を重ねることで、この映画から受け取れるものっていうのはおそらくもっと増えるだろうから、何年か経った後にもう1度見てみたい。
Haru

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