いいぞこれ。正当な「ビューティフル・ドリーマー」の実写版だ。萌えは皆無だけれど。
ニンゲンにとって現実とは、しょせん共同幻想に過ぎないとよく言われますな。
それが本当かどうかは、自分ひとりではどうしたって信じきることはできない。
誰かが肯定してくれてはじめて、それが本当だと信じることができるのですな。(そう言うてくれる誰かもまた幻でないという保証もないわけだけれども)
そんなもんだからして、ニンゲンの脳の構造上、それが本当か嘘かは実のところなんの意味もなかったりする。
夢は、みたもん勝ち。
とはいえひとは、決してひとりで夢を叶えることはできない。
なのに往々にしてひとは、自分の夢を押し付け、なけなしの現実を奪い合う椅子取りゲームに突入してしまったりするのですな。
その先には結局自分だけしか残らない。
ひとは、ひとりで夢を叶えることはできないというのに。
他の誰かと同じ夢をみるためにはいったいどうすればよいのか。
模範解答が観れた気がして、とてもとても気持ちのよいおはなしなのでした。
無論、どうしたって誰かの夢のために、誰かの夢が犠牲になってしまうことだってあるかもしれないのだけれども。
犠牲にならざるをえなかったひとは、そんなときはでも、がんばって言い放つ資格はあるのだと思うのです。
あの、遺伝子じみた螺旋階段で出会った、白い帽子とワンピースの女の子のように。
責任、とっ←書くとこ間違えてないですか。
萌えが皆無と書きましたが、なんとなく円井わんエロいと思ってしまいまし(検閲)
堀北わんを連想したからというわけではな(自粛)