日常系の漫画みたいな話。
ラストの解釈は、失踪していた社長が合流して2人は一緒に入水自殺したとおもった。
しかし、監督によるモラトリアムを終わらせる、通過儀礼といった発言によれば、監督自身が社長を演じてることも鑑み、入水したことは、生まれ変わる為、穢れを清める為のシーンともおもえる。
ただ、『明ける夜に』の文字通りなら、モラトリアムも通過儀礼も、夜は必ず明けるように自分が何もしなくてもそれらは終わってしまうという、もともこもない話に帰結してしまってないか?
だからそうならない為にも、
夜は勝手に明けるにも関わらず、
自覚的に明ける夜があること、
9月1日は当たり前に訪れるにも関わらず、
自覚的に終わる夏があること、
それらをもっと強い意志で明確に具体的に描いて欲しかった。
入水自殺だと勘違いしないぐらい。