ろく

裸のムラのろくのレビュー・感想・評価

裸のムラ(2022年製作の映画)
4.0
俺は分かっているから大丈夫だって言いながら結局自分の思う方向に人を動かそうとする輩のほんと嫌な感じね。

あの名作「はりぼて」の五百旗頭がまんを持して2作目。おなじみ政治ドキュメンタリーも物事はそう簡単に許さない。

この作品に出てくる人は3種
①イスラム教徒の家族
②ワゴンで生活している家族
③石川県政の携わる人

これだけ聞くと③だけを追及し①や②をあげるおなじみ左翼的ドキュメンタリーだと思うじゃない(僕もそう思っていた)。でも違うんだよ。①や②も同型の危うさを持っているという話なんだ。うわ、なんて映画を撮るんだってほんと怖くなってしまった。

だってそうじゃない。僕らは「誰か」を悪者にしてそれを吊し上げることで自己の立ち位置を保っている(それは残念ながら多くの左翼がそうである。あ、右翼もか)。でもどこにも同じレベルの「嫌な感じ」が作用する。それを五百旗頭は見事に看破しているの(実は前作の「はりぼて」にもその萌芽は見えているんだけどね)。

でその「嫌な感じ」ってのは権力を持ってしまうと自然と「権力的」になってしまうこと。そしてそれに対し権力のないものは「忖度」してしまうことだ。

この映画の凄いとこはそれを①や②でも見せてしまったことだ。自由になりたいと車の中で暮らす家族に対し父親はときに理解を示しながらも最終的には父権を行使する。それは①のイスラム教徒の家族でも同じだ。外国人の母親は「理解を示す」が結局子供にイスラムを強制する。

その強制こそがポイント。恫喝や暴力はそこにない。ただそれとなく「そこに行く」ように二人は誘導する。その誘導の意志はないかもしれない。だって「こんなに理解しているじゃない」だから。でもあるんだ。そこには嫌な感じの「権力」があるの。

それは小さな家族でも大きな県政でも同じである。保守王国の石川で「女性に理解をしている」と言いながらさりげなく女性にお茶を入れさせる「彼ら」のなんとも言えない怖さ。対話しているフリをして最終的には権力として彼らを自分の方向に向かわせる。そこ怖さだけでもこの映画を見て感じる事が出来る。

五百旗頭はその怖さに関し自覚的だ。「君のことは分かるけど」そのセリフの怖さね。理解していると言われながらも彼は富山のチューリップテレビを首になった。理解していると認めるは大きく違う。「理解している」から君に何してもいいよね、すまないに成り代わっている。

だからこの映画は日本の縮図だ。一見物分かりがいいようでありながら最後の一線をかたくなに守る「輩」の権力性をこの映画は見せてくれる。

石川県知事、馳浩がどんどんその「輩」になってしまうのが哀しい。彼は「理解している」ふりをしているから余計始末に負えない。
ろく

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