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メトロポリスのがしこみ料理チャンネルのネタバレレビュー・内容・結末

メトロポリス(2001年製作の映画)
5.0

このレビューはネタバレを含みます

 今日は手塚治虫先生の誕生日だったこともあり、前から積んであった本作をみた。率直な感想としては最高のアニメーション映画だと思う。
 まずはビジュアル的な点で、技術の発達した世界を描いた作品はいくつもあるけれど、メトロポリスの世界は他の作品と比べて観ていてワクワクする描写が多かった。(多種多様な容姿のロボット、太陽に向かって撃つレーザー?、入り組んだ動線、巨大な歯車などなど)
 ストーリーに関しても、色々なことを考えさせられた。特にロボットと人間の対立は、AIに関する本の出版が後を経たない現代において、発表された当時よりも鑑賞者へのインパクトが大きいと思う。
 ティマが自分は人間なのか、ロボットなのかを非常に気にしていたことも印象的だった。自己同一性について考えている時点で、ティマに心があるのではと考えさせられた。人間と高度なロボットの違いは、生殖によって生まれるか否かに過ぎないのかもしれない。
 こう考えると、メトロポリスの中でのロックの立ち回りは意味のあるものだと感じられる。ロックが登場してすぐの頃は声優の方の棒読み感に違和感を覚えたが、後半でそれはロックの精神的な不器用さを強調させているように感じられた。孤児のロックと、彼に父親と呼ばれることを許さないレッド公の関係に注目すると、親という概念に執着しているロックと自己同一性に執着しているティマは似たもの同士なのかもしれない。
 美術史を学んでいる自分としては、メトロポリスの中に含まれる幾つかのアイコンにも気を取られた。バベルの塔や《民衆を導く自由の女神》、要所で登場する白い鳩などには、根幹となるテーマに関わるような意味を持たせているように思う。
 あとはティマが可愛い。異論は認めない。光に照らされて鳩の翼と被ったことで「天使みたいだ」と言われるシーンがあるが、それくらい可愛い。だからこそ、終盤で背中に翼ではなくプラグが挿さり、ボロボロになったティマは見ていて心が痛かった。
 ラストシーンの落下しそうになるティマのセリフ「私は誰」は、思わずそう来たかと唸らされた。高所から落ちそうになる相手の手を掴むというシーンは数々の創作物で使い古されてきたが、そのほとんどが最期の言葉として「ありがとう」なり「さよなら」なり「愛してる」と言ったニュアンスの言葉を持ってくるが、メトロポリスは違った。思わず視聴後すぐにこれをつらつら書いているくらいには、心にずしっとくるお別れだった。
 その後にフィフィが出てくるが、あれさっき壊されてなかったっけ、と思った。しかし考えてもみれば、ロボットは壊れたら直せばいいのだ。フィフィの手にはティマの部品があった。ティマもきっと直される、と希望を持つことができるラストはハッピーエンド大好きな自分としては大変満足だった。
 原作にはまだ触れていないので、是非読んでみようと思う。