メトロポリスのネタバレレビュー・内容・結末

「メトロポリス」に投稿されたネタバレ・内容・結末

作画が丹念で感心しながら観ました。
おじさんがロックから助け出したティマちゃんを宿で治すシーン、おじさんの着てる「ゆ」の浴衣が可愛くて笑ったけどその手前の暗がりでよく見えない部屋まで細やかに物が描写されていてびっくりした。ワントーン上げて確かめてみたい。
んで美術がべらぼうに素敵。配色のセンスが素晴らしくて各シーンがポスターみたい。絵画というよりはお洒落なポスター。ジャズが合うわけです。音楽も良かった。
でもやっぱり本当に美術がすごい笑!本田秀一さんという方を初めて知りましたが鉄コンみたいに背景美術とか美術資料の本があったらいいのに。地上と地下の世界観の描き分けも素敵でした。キャラの配色も魅力的で、目の色とかずっと観ていられる。
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最初のシーンでCG色が強くて苦手な部類かなと心配になりましたが前面CGではなくメトロポリスという近代都市の説得性を強める要素として上手く取り入れてる感じ。CGもそれ以外の作画もめっちゃ丁寧。
肝心のストーリーですが原作未読なので予想だけど原作を大切にするが故に長いです。もっとテンポ良く観たかったです。
それと、リアルではない頭身とキャラクター感が可愛いなと思ってましたが、喜怒哀楽を表現が、ちょっと感情移入しにくかった。
みんな良い声してるんだけど、おじさんと博士は聞き覚えのある声だし他と比べて明確にプロだと分かった。ケンイチがジャズボーカルの人とは!りんたろうさんジャズ好きですね!表現が上手いとはいえなかったけど優しい良い声。ロックは顔に似合わずシブい。
クレジットの友情出演にやなせたかし、永井豪

関係ないけどティマちゃんを作ってた隠れ家?の最初のシーンでAKIRAが眠ってた地下を思い出しました。笑
未来を語るためのアプローチとしての過去。

追記
中盤で革命軍によるクーデターが発生してからは、画面が死屍累々になるわけですけど、クーデターが起こる前に死ぬ者には法則があるように思います。なぜなら、あまりにも不自然な形で落下していく者がいるからです。特に冒頭に出て来るロボットは落下の衝撃では死なず、その後に撃たれることによって死にます。このロボットを死なすための落下ではなく、落下させるための落下として描かれています。
その法則とは、地上で生きる者が地下で死ぬ時、または地下で生きる者が地上で死ぬ時には、必ず落下するという法則です。

クーデター発生前に死ぬことになる者のリストをざっくりと書きます。
地上にて。冒頭のパーティーシーンでの地下革命軍のロボット(ビルの屋上から落下)。
地上にて。日中、街中での革命軍のロボット(建物の屋外看板から落下)。
地下にて。ティマを作った博士(元々、地下で暮らしているので落下しない)。
地下にて。ケンイチに向かって発砲した流れ弾が当たって壊れるロボット(地下専用のロボットなので落下しない)。
地下にて。ロックに撃たれるレッド公の手下(高所の足場から落下)。
地上にて。暴走するロボット数体(地上専用のロボットなので全員落下しない)。
地下にて。お掃除ロボットのフィフィ(地下専用のロボットなので落下しない)。
この区分けが正しいかどうかはわかりませんが、とりあえず落下する者と、しない者の間には線が引かれています。
地下で生まれたティマもこの法則からは逃れる事が出来ず、ラストで高層ビルの上から落下することになるのかもしれません。
ただ、ティマにはそれとは別に劇中で二度反復される動作があり、それがラストの落下と結び付けられています。

追記 補足
ティマが反復するのは、天を見上げた状態で見つめる、という動作です。これが前半のケンイチと出会った後に一度、中盤のクーデターが発生する前に一度あります。どちらのシーンにも共通していることは、ティマが天を見上げ、そのままの状態で見つめ続けていると、どこからか急に吹き始めた風によってティマの髪が吹き上がる、ということです。二度目の時は前方から風が吹いているように見えますが、一度目の時は髪が真上に吹き上がることから、完全に下から風が吹いていることがわかります。そしてこの一連の動作が、ラストでビルの上からティマが落下する時に、再現されることになります。
ティマが落ちた瞬間に、ケンイチはティマの体から出ているケーブルを掴むことで助けます。そしてそのままケーブルごとティマを引っ張りあげます。この時、ティマはケンイチの方を見上げたまま、見つめています。爆風と高所の風によりティマの髪は真上に吹き上がっています。ケンイチはティマを引き上げ、ティマの手を一旦は掴むも、その手はするりと抜け、ティマはケンイチの姿を見つめ続けながら落ちていきます。
このティマが落ちて行く時のカットが、ティマの主観、ケンイチの主観、というようにお互いの視点が繰り返されます。なぜか。たぶんこれは、二人の最終的な関係性を示しているのだと思われます(広げると作品全体の主題にも関わってくる)。この映画で一番大事な落ちるカットなのに、それまでの落下シーンとは違い、高低差をまったく描かない撮り方をしています。ティマの主観カットでのケンイチの姿は、カメラの中心部分に向かって小さくなっていきます(正面で向かい合った状態で距離が離れていくかのように)。同様に、ケンイチから見たティマの姿も同じく、中心に向かって小さくなっていきます。上と下の関係ではなく、水平の関係が示されています。ティマの落ちる姿を、ケンイチの主観アングル以外から撮ったカットがありません。

(劇中でバベルの塔について言及がされているので、天を見上げるにしてみました)

追記2
この映画は未来都市メトロポリスが舞台のSF映画です。しかしこのメトロポリスという都市の未来的要素は、他のSF映画に比べると圧倒的に少ないです。何が少ないかというと、それは視覚的な未来っぽさを含んだSF的ガジェットです。画面にSF的ガジェットが出ることを制限している理由は、この映画を後半で、どこか遠い国の未来で起こった出来事、ではなくすためです。
まずこの未来都市における景観の未来感を担っているものは二つあります。
一つ目は宙に浮かぶ自動車。二つ目が超高層ビル群です。この二つは映画の中盤でクーデターが発生することを起点として(正確には、クーデター後の大統領が粛清されるシーン以後)、鳴りを潜めます。一つ目の宙に浮かぶ自動車。これはクーデター以降の画面からは消えます。壊れて燃えている車が路上に放置されているカットはありますが、宙に浮くことをやめた車は、もうSF的ガジェットとしての役割を満たしていません。それでも動く自動車が写るカットは出てきます。しかしそのどれもが、真上から撮られていたり、車の下部を手前に柵を置くことで隠したり、あるいは車の下部をフレームから切ったりすることで、宙に浮いているのを見せないようにしています。二つ目の超高層ビル群。これは姿を消すわけにはいかないので、撮り方が変わります。前半で何度か繰り返される手法が、後半からはなくなるのです。その手法とは、建物の高さを伝えるために建物上部から下部に向かってカメラが移動する、または都市の上空からカメラが降りてくる(実写でやる場合ヘリコプターかドローンを使って行う、いわゆる空撮)、というカメラワークです。これを使わなくすることで、超高層ビル群は、高層ビル群になります。さすがに少し引きの画面になるショットはあるのですが、カメラが上から下へ、下から上へとPANするという動きはなくなり固定アングルで撮られ、建物の大きさを強調することをやめます。
この映画で一番現代とかけ離れた要素を持ったSFガジェットであるオモテニウム発生装置というものも、前半で一度使われたきり、画面に出てくることはありません。
そしてクーデター場面では、革命軍も政府軍も実弾の銃を使っています。ビームライフルは間違っても出てきません。銃に詳しくないので、デザインを見て正確にこれを元にしていると言い当てることが出来ないのですが、お互いに持っている武器が現代の銃より、さらに古い戦時中に使われている銃のデザインなのです。革命軍に至っては、角材や火炎瓶、中には斧をもっている人までいます。

ちなみに革命の予兆はあります。映画の前半に、フランス革命を模した絵画や、チェ・ゲバラのポスターなどがほんの数秒間、背景に写るショットがあります。

レトロフューチャーという言葉があります。かつての人々が思い描いていた科学的根拠を持たない、理想の未来像。この映画がそのレトロフューチャーでデザインされているというのを、きちんとした映画サイトの紹介文(映画のスタッフはノータッチのプロによる文章)で見ました。しかし車のデザインや、銃のデザインなどを見ると、レトロフューチャーを意識して描いているようには思えません。レトロフューチャーのイメージでわかりやすいのは、ディズニーランドのトゥモローランドです。

この映画はありえたかもしれないかつての未来像の中で起こる話、というより、かつて起きた事が反復されているというお話。少なからず後半に至っては実際にあった歴史が参照されています。ロボットや地下住民が出てくるではないか、と思うかもしれませんが、歴史の中でこのロボットや地下住民に該当するものがいなかったとは、僕には断言出来ません。

まとめづらいので、こんな感じです。
手塚治虫の漫画を原案としたSF超大作。可愛らしい作画に反してテーマはとても重い。便利な社会になる一方でそんな社会から迫害された人々、人間と機械の共存、人間の存在意義、ロボットの存在意義。
少女ティマが問い続ける「ワタシはだれ?」この言葉に終始胸が締め付けられた。

複雑に絡み合った物語の行き着く先は結局、「愛」というものなのかもしれない。登場人物たちが持つ愛は様々だった。歪んだ愛、信仰的な愛、そして主人公ケンイチとティマの愛。人は何かを愛さずにはいられない。何かを信じずにはいられない。それが一つの存在意義として成り立ってしまうから。
ラストシーンでは、物質的な〝もの〟ではなく、その物質のなかに宿る魂こそが大切なのだと描かれている。
それが救いがある描写なのか、残酷な描写なのか、捉え方は人それぞれだけど、私は充分に救いがあったと思うし、手塚作品らしいな、とも思った。


人は死んでしまえばただの物質でしかなくなるし、ロボットも壊れてしまえばただのモノと成り果てる。ある意味ではヒトもロボットも同じ道を辿るのに、一体何が違うんだろう。境界線は一体どこにあるのだろう。そう考えたときに、ケンイチとティマが交わした初めての会話が頭をよぎる。
「ワタシはだれ?」
「君はワタシ、ボクはキミ」


この映像作品は17年前のものだけど古臭さは全く感じさせず、構成、作画、bgm全てにおいてかなりのクオリティ。海外では評価が高いようだけど日本では知名度が低い。低すぎる。アニメ史に残る名作なのでは?と思うのだけど。
原作は60年以上前の漫画で、戦後すぐにこういった構成の作品を生み出した手塚治虫はやはり天才だな、と。
(戦争があったからかもしれないけど)あの時代に科学が人間社会を脅かすかもしれないだなんて、私だったら考えられなかっただろうな。
もっと早く観ていればよかった。
ティマもロックもケンイチも、ただただ美しかった。「親はケンイチ」と口にしたティマの悲しさ。おじさんの優しくて残酷な嘘。ペロとフィーフィーの悲しい愛らしさ。

本多俊之ーーーーー!!!GJ!!!
SF×Jazz、いい塩梅でした。ラストのレイ・チャールズ I Can't Stop Loving Youもとても良い。とても良いラスト。美しい。

(ただ、やっぱりケンイチの声が残念。)
脇は固めてるけども……

どのキャラクターもとても人間性が描けていて、いいアニメ映画でした。
ロクとレッド卿、ケンイチとティマそれぞれの描写は表情や声でカバーできる範囲だったからあれでいいと思う。肝心のケンイチの声が好きになれなかったけどね。。
アニメーションがきれい

なんとも切ない

語彙力ないから上手く言えないけど、もう1回見たい
ジャズとSFと未来世界という、好きな要素てんこもり映画。
もっとも優れていると思ったのは、ロボットであるティマの悲劇を演出と作画に裏打ちされた圧倒的な迫力で描ききったこと。
ラストシーンは、ティマが、この世に生まれようとして、産声をあげたその刹那に死んでしまったということにほかならず、あまりにやるせない。しかもその前にも一回自我を喪失してるから都合二回死んでる。
そのあと流れる主題歌にも胸が締め付けられる。
全体的には、音楽を中心に画面や演出を作っている印象。意表を突く無音のレイ・チャールズもニクイ。
ティマが例の椅子に座った時、顔の皮膚が溶けて鉄の筋肉があらわれる様を涙を流しているように見せる演出もすばらしい。
全編を通して、ティマの髪の毛の作画に変態的なまでにこだわっているのは表情がない分、そういう所で生命体感を出そうとしたということだと思う。
まあライトな声豚的には若本規夫大将が渋めの声で演じてくれるっていうだけでかなーり見る価値ありますね。
作画は超綺麗、DVD版でも結構すごい画質になってます。
ただなんだろう。原作の面白さが生かされているのかって思うとうーん。
話は面白かったのかって聞かれるとうーん。
ラスボスの目的もちょっと頭おかしすぎて共感できないし、ロボの迫害という題材を取っている割には外から来たはずの主人公がなんの違和感もなくロボットを区別にしているのも納得できない。音楽と演出がオシャレなのはすごいけど、肝心の中身にもっと気を使ってほしかったような。
相当小さい頃に見た
ロボットの女の子めちゃくちゃ可愛かった
感情のないロボットが段々感情を得ていくっていうプロセスが子供の自分には感動的だった
最期の方の身体が壊れていくなか途切れ途切れに「す…き…。」みたいな事をいうシーンでめちゃくちゃ泣きそうになった。
なんかハッピーエンドっぽい終わり方したけど個人的にはバットエンドだと思う。
ノスタルジーというか、子供のころの思い出で大分美化されてる
感情のないだいすきがめちゃくちゃ萌えた
作画がすごい…めっちゃすごい…ロックが襲い来るロボットたちに父さんをお前たちなんかに殺させないぞ!って言ってポチッとボタン押した瞬間レイチャールズ流れるの本当泣くから無理

でもロックのファザコンっぷりが激アツすぎてあと他になーーんにも没入感ない、頭に入ってこない脚本なので星3.9!!!
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