あーるえぬ

メトロポリスのあーるえぬのネタバレレビュー・内容・結末

メトロポリス(2001年製作の映画)
4.4

このレビューはネタバレを含みます

未来を語るためのアプローチとしての過去。

追記
中盤で革命軍によるクーデターが発生してからは、画面が死屍累々になるわけですけど、クーデターが起こる前に死ぬ者には法則があるように思います。なぜなら、あまりにも不自然な形で落下していく者がいるからです。特に冒頭に出て来るロボットは落下の衝撃では死なず、その後に撃たれることによって死にます。このロボットを死なすための落下ではなく、落下させるための落下として描かれています。
その法則とは、地上で生きる者が地下で死ぬ時、または地下で生きる者が地上で死ぬ時には、必ず落下するという法則です。

クーデター発生前に死ぬことになる者のリストをざっくりと書きます。
地上にて。冒頭のパーティーシーンでの地下革命軍のロボット(ビルの屋上から落下)。
地上にて。日中、街中での革命軍のロボット(建物の屋外看板から落下)。
地下にて。ティマを作った博士(元々、地下で暮らしているので落下しない)。
地下にて。ケンイチに向かって発砲した流れ弾が当たって壊れるロボット(地下専用のロボットなので落下しない)。
地下にて。ロックに撃たれるレッド公の手下(高所の足場から落下)。
地上にて。暴走するロボット数体(地上専用のロボットなので全員落下しない)。
地下にて。お掃除ロボットのフィフィ(地下専用のロボットなので落下しない)。
この区分けが正しいかどうかはわかりませんが、とりあえず落下する者と、しない者の間には線が引かれています。
地下で生まれたティマもこの法則からは逃れる事が出来ず、ラストで高層ビルの上から落下することになるのかもしれません。
ただ、ティマにはそれとは別に劇中で二度反復される動作があり、それがラストの落下と結び付けられています。

追記 補足
ティマが反復するのは、天を見上げた状態で見つめる、という動作です。これが前半のケンイチと出会った後に一度、中盤のクーデターが発生する前に一度あります。どちらのシーンにも共通していることは、ティマが天を見上げ、そのままの状態で見つめ続けていると、どこからか急に吹き始めた風によってティマの髪が吹き上がる、ということです。二度目の時は前方から風が吹いているように見えますが、一度目の時は髪が真上に吹き上がることから、完全に下から風が吹いていることがわかります。そしてこの一連の動作が、ラストでビルの上からティマが落下する時に、再現されることになります。
ティマが落ちた瞬間に、ケンイチはティマの体から出ているケーブルを掴むことで助けます。そしてそのままケーブルごとティマを引っ張りあげます。この時、ティマはケンイチの方を見上げたまま、見つめています。爆風と高所の風によりティマの髪は真上に吹き上がっています。ケンイチはティマを引き上げ、ティマの手を一旦は掴むも、その手はするりと抜け、ティマはケンイチの姿を見つめ続けながら落ちていきます。
このティマが落ちて行く時のカットが、ティマの主観、ケンイチの主観、というようにお互いの視点が繰り返されます。なぜか。たぶんこれは、二人の最終的な関係性を示しているのだと思われます(広げると作品全体の主題にも関わってくる)。この映画で一番大事な落ちるカットなのに、それまでの落下シーンとは違い、高低差をまったく描かない撮り方をしています。ティマの主観カットでのケンイチの姿は、カメラの中心部分に向かって小さくなっていきます(正面で向かい合った状態で距離が離れていくかのように)。同様に、ケンイチから見たティマの姿も同じく、中心に向かって小さくなっていきます。上と下の関係ではなく、水平の関係が示されています。ティマの落ちる姿を、ケンイチの主観アングル以外から撮ったカットがありません。

(劇中でバベルの塔について言及がされているので、天を見上げるにしてみました)

追記2
この映画は未来都市メトロポリスが舞台のSF映画です。しかしこのメトロポリスという都市の未来的要素は、他のSF映画に比べると圧倒的に少ないです。何が少ないかというと、それは視覚的な未来っぽさを含んだSF的ガジェットです。画面にSF的ガジェットが出ることを制限している理由は、この映画を後半で、どこか遠い国の未来で起こった出来事、ではなくすためです。
まずこの未来都市における景観の未来感を担っているものは二つあります。
一つ目は宙に浮かぶ自動車。二つ目が超高層ビル群です。この二つは映画の中盤でクーデターが発生することを起点として(正確には、クーデター後の大統領が粛清されるシーン以後)、鳴りを潜めます。一つ目の宙に浮かぶ自動車。これはクーデター以降の画面からは消えます。壊れて燃えている車が路上に放置されているカットはありますが、宙に浮くことをやめた車は、もうSF的ガジェットとしての役割を満たしていません。それでも動く自動車が写るカットは出てきます。しかしそのどれもが、真上から撮られていたり、車の下部を手前に柵を置くことで隠したり、あるいは車の下部をフレームから切ったりすることで、宙に浮いているのを見せないようにしています。二つ目の超高層ビル群。これは姿を消すわけにはいかないので、撮り方が変わります。前半で何度か繰り返される手法が、後半からはなくなるのです。その手法とは、建物の高さを伝えるために建物上部から下部に向かってカメラが移動する、または都市の上空からカメラが降りてくる(実写でやる場合ヘリコプターかドローンを使って行う、いわゆる空撮)、というカメラワークです。これを使わなくすることで、超高層ビル群は、高層ビル群になります。さすがに少し引きの画面になるショットはあるのですが、カメラが上から下へ、下から上へとPANするという動きはなくなり固定アングルで撮られ、建物の大きさを強調することをやめます。
この映画で一番現代とかけ離れた要素を持ったSFガジェットであるオモテニウム発生装置というものも、前半で一度使われたきり、画面に出てくることはありません。
そしてクーデター場面では、革命軍も政府軍も実弾の銃を使っています。ビームライフルは間違っても出てきません。銃に詳しくないので、デザインを見て正確にこれを元にしていると言い当てることが出来ないのですが、お互いに持っている武器が現代の銃より、さらに古い戦時中に使われている銃のデザインなのです。革命軍に至っては、角材や火炎瓶、中には斧をもっている人までいます。

ちなみに革命の予兆はあります。映画の前半に、フランス革命を模した絵画や、チェ・ゲバラのポスターなどがほんの数秒間、背景に写るショットがあります。

レトロフューチャーという言葉があります。かつての人々が思い描いていた科学的根拠を持たない、理想の未来像。この映画がそのレトロフューチャーでデザインされているというのを、きちんとした映画サイトの紹介文(映画のスタッフはノータッチのプロによる文章)で見ました。しかし車のデザインや、銃のデザインなどを見ると、レトロフューチャーを意識して描いているようには思えません。レトロフューチャーのイメージでわかりやすいのは、ディズニーランドのトゥモローランドです。

この映画はありえたかもしれないかつての未来像の中で起こる話、というより、かつて起きた事が反復されているというお話。少なからず後半に至っては実際にあった歴史が参照されています。ロボットや地下住民が出てくるではないか、と思うかもしれませんが、歴史の中でこのロボットや地下住民に該当するものがいなかったとは、僕には断言出来ません。

まとめづらいので、こんな感じです。
あーるえぬ

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