Harutaco

福田村事件のHarutacoのネタバレレビュー・内容・結末

福田村事件(2023年製作の映画)
4.8

このレビューはネタバレを含みます

悲しくて、怒りがとまらなくて、そして恐ろしかった。

村には、震災前から重たい空気があった。澱んだ空気、もつれた人間関係。戦争やデモクラシーという時代のせいもあれば、男女間の普遍的な感情もあるし、閉鎖的な村特有の息苦しさもあるのだろう。地震から数日も、静かな日々が続いたのだ。
虐殺という悲劇は決して地震によって突如起こったのではない。ゆっくりと、時間をかけて、いろんなところで、下地は準備されている。
地震が引き金に、警察が組織的にデマを流し、メディアはずっと前から、それを信用させる下地をつくっていた。

ひょんな一言や個人的な感情から虐殺へと、レイシズムのピラミッドをかけのぼる様をみせる映画だと思う。転じてあれから100年後の今、私たちはどこにいるのか、どこに向かっているのか、あの村にいたとしたら私は誰だったか、それをつきつけられた。気を抜けば、あの悲劇を繰り返してしまうであろう今の時代。差別の生産と闘わなければならない。

ハンセン病患者に薬を売り、新助の、自分より弱い人からお金をせしめないと生きていけないという言葉も胸に刺さる。そうしながら反対に食べ物を渡し、相互に生きていこうとする。差別を受けながら、差別をしない新助。同時に朝鮮人よりはマシだと思って尊厳を保つ者もいる。日本人の先祖は朝鮮にあると考え、いつか平等な社会が訪れると信じる者もいる。しかし生きるためには身分を隠さねばならないという不条理。
映画を観た後、水平社宣言をはじめてちゃんと読んだ。なんて力強い宣言なのだろう。あと、あの少年は讃岐に戻ったあと、どういう人生を送ったのだろうか。

ひとつひとつの描写がとても鮮明に心に残った。
福田村の村民にもいろいろいる。ある人はなんとなく嫌いだというし、ある人は朝鮮人をいじめているから、だから逆襲が怖いという。ある人は形のない恐怖と村を守るという使命感、元軍人としての自尊心で差別を、虐殺を、起こしていく。ある人は夫を想い、デマを信じ、虚構の恨みから殺してしまう。お国のための信じてやまない青年は、目の前の人の心に想像力を働かさなかったのだろう。村長と澤田の、教育についての会話が胸にささる。

澤田の4年前の記憶も、胸が痛くなった。デモクラシーを志向する村長も尊敬する。しかし運動した社会主義者は殺され、穏便にデモクラシーを目指しても無力に終わってしまった。あの時代にあの場にいたとしたら、私はこの2人のような立場か、手を下さなかった群集の1人だっただろうと思う。しかしそれでは何も変えられない。ではどう行動すればよいのだろうか…。

よくわからない場面もあった。嫁と舅のあの関係はなんだったのか。なぜあの女性は豆腐を澤田家の前に置いていったのか。新助は途中から人が変わったような言われようだったが、何がどう彼を変えていたのか。澤田は最後の場面で、何を教えて欲しいと思ったのか。

感動する場面もあった。朝鮮人の女性が力強く名乗る姿、朝鮮人であれば殺していいのかと問うたエタの新助、そして水平社宣言を朗誦する行商人たち。本当に感動した。史実かどうかわからないけれど、史実ならもう胸が張り裂ける想いだし、史実でないなら、フィクションだからこその素晴らしい場面だと思う。まぶしいばかりの人間の尊厳。その尊厳が当然のごとく認められる世界にしないといけない。
全体として見ているのが苦しい作品だけれど、この3つの場面が素晴らしくて、そのためにもう一度観ようか悩む。

あと、こういう映画がミニシアターだけでくて大手でも上映してるってこと、とても大事だと思う。

あえて言うなら、虐殺のシーンの太鼓の音は個人的にはわざとらしさを感じてあまり好きではなかった。でも止められない集団心理の暴走を表現するためにあえてとった手法なのだろうということも想像に容易いので、ありなのかなとは思う。

【追記メモ】
女性の描かれ方をどうみるか、という問いかけ。あの時代の村の女性がおかれた状況を描きながら、もっと主体性ある存在として描くこともできたはず?
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