やはりストーリーのオチに納得できない。
これじゃ世界は、何も解決しないのではないか。
おそらく今作の劇場版ガンダムSEEDは、ガンダム好き、そしてリアルタイムで見ていた世代の人が、見ているのだと思います。
私が子供の頃に見ていたガンダムです。
だから映画館にも、その頃の世代の方でしょうか。レイトショーでありながら、たくさんの人で席は埋められていました。
映画は、シリーズを全て見ていた人ならば、感動するようなシーンがたくさんあり、懐かしいオールスター感謝祭が見られます。
作画も素晴らしく、ディスティニーのその後が書かれていて、本当に素晴らしい。
2000年代のデザインをそのままに、現代的なタッチにて書かれています。
本当に素晴らしく、面白い映画でした。
ただ、個人的にはストーリーに納得できない部分があります。それは"愛"では人を救えぬというものです。
ガンダムSEEDのテーマである、遺伝子による格差と怨恨。
個人的にはラウル・クルーゼそしてデュランデル議長の考えが正しいと強く思っています。
ディスティニープラン以外の方法では、何も解決するわけがないので、ストーリーとしては、かなりご都合主義な結論となっています。
キラヤマトがどれだけ戦い、人を愛そうが世の中には遺伝的に恵まれず苦しむ人達がいるのは事実。
ラクスクラインが述べる『愛するから、必要とする』という台詞がありましたね、ただ愛される価値がないと、その愛は適用しないのです。
ラクスクラインがカズイを愛する事はありません。能力があるから、相性が合うから好きになるというのは要はその人を認める"価値"があるからです。
人は無限に人を愛することはできません。だから愛する対象を厳選します。
愛されないもの、人から必要とされないもの。価値を踏み躙られたものは、愛を得る事ができません。
むしろ差別と、蔑視が漂う世界になのではないだろうか。
この憎しみの目と心と、引き金を引く指しか持たぬ者たちの世界で、何を信じ、なぜ信じるのだろうか。
その不公平を解消する鍵は、ディスティニープラン以外にありません。
青き清浄なる世界を目指す原因は、やはり「他者より強く、他者より先へ、他者より上へ! 競い、妬み、憎んで、その身を食い合う!」という人間の欲望から生まれるものです。
その原因は、やはり遺伝という決められた運命から作られる禍根なのだと思います。
ディスティニープランは、素晴らしい。
この禍根を終わらせる事ができる。
これは人類の存亡を懸けた、最後の防衛策なのです。
しかし、それを放棄した今回のストーリーでは、戦争は一旦は終結するかもしれないが、青き清浄なる世界も、ラウルクルーゼが危惧した人々の愚かさも変わる事がなく、世界はまた、もとの混迷の闇へと逆戻りではないだろうか。
いつか、やがて、いつかはと、そんな甘い毒に踊らされ、一体どれだけの時を戦い続けてきたのだろうか。
今回の話としては、上辺だけは解決したように思えるが、おそらくは何も変わることはないと思います。
コズミックイラの世界は、これからも戦いを続けると思います。