ワンコ

リオ・ブラボーのワンコのレビュー・感想・評価

リオ・ブラボー(1959年製作の映画)
5.0
【西部劇としての対比②/多様性とリーダー論】

「リオ・ブラボー」は西部劇とは言っても、イメージとはだいぶ異なり、登場人物も、そこから生まれるストーリーも多様でとても楽しい。

当然ドンパチもあります。

「瞳をとじて」のビクトル・エリセ監督や、まもなく「悪は存在しない」が公開される濱口竜介監督が絶賛する作品として、「悪は存在しない」公開直前のBunkamuraル・シネマのリバイバル上映となった。

実は、「リオ・ブラボー」は「真昼の決闘」に対するアンチ・テーゼとして制作されたと言われている。

「真昼の決闘」は当時のアメリカ社会の赤狩りと呼ばれた共産主義者に対する過剰なまでの排斥行為と、それを見て見ぬふりをする市民、その中で葛藤・苦悩するリーダーをモチーフにしているのだが、こうした前提に対するふとした疑問が監督やジョン・ウェインにはあったのだろうと思う。

特に、市民の協力を得られるか否かは普段からのリーダーシップが欠かせないものだが、「真昼の決闘」のケーンにはそれが足りなかったという、そして、市民に問題があるという描き方は、アメリカの理想とするリーダーと市民の関係像とは異なるというのが一番の理由のような気がする。
まあ、ただ、日本で裏金問題だとかアホな政治家を闇雲に支持する有権者もかなりバカに見えるし、僕は、これもかなりアメリカ的な考え方だと思う😁

この「リオ・ブラボー」は多くの人が考える西部劇とは大きく趣が異なる。

登場人物が多様で、悪事に対しては社会として対抗しようとするのだ。

(以下ネタバレ)

アル中でリハビリ中の(たぶん)凄腕ガンマンで副保安官のデュード。手が震えがちだ。

脚が不自由で牢屋番をしているが、実は勇敢な爺さんスタンピー。口が達者。

斜に構えているが要所要所で力を発揮する良いとこどりの、これまた凄腕ガンマン・コロラド。途中から副保安官。

人当たりが良く皆に信頼されているメキシコ系の小粒な宿の経営者。たぶん牧場経営者の次くらいにリッチ(のはず)。

宿に泊まっている美人の賭博師で踊り子のフェザーズは保安官のチャンスが好き😛で良く誘う😜美脚🦵も自慢😁

保安官チャンスは冷静で勇敢、でも人の話を聞いて判断を下すことが出来る典型的なリーダーだが、かなり奥手😁

そして、もうひとつの特徴なのは、この「リオ・ブラボー」は悪を過度な極悪非道な悪として描かず、牧場経営で大きな資産を得たバーデッドの”わがまま”のような感じに見せているところだ。
悪は皆殺しだ!みたいな極端な二項対立を避けてるようにも感じるし、血で血を洗うようなことはいかがなものかと考えていたのかもしれない。

こうしたものが絡み合って、ストーリーも多様な感じになっていく。

日本の時代劇も昔は極悪非道をバッサバッサ切り殺すみたいなところに共感する人は多かったのだと思うが、殺戮が過ぎて僕はたまにひどい話だと思ったりしていた。

おそらく、アメリカの西部劇も、僕たちが考えがちな状況設定より、もっと人としての暮らしの上に成り立っていたんだろうななんて思わされる。

ただ、「真昼の決闘」で描かれたアメリカ社会も、「リオ・ブラボー」で描かれたアメリカ社会もどっちも本当だと思う。

それは日本も同じだ。

映画はとても面白いです。

でも、「真昼の決闘」みたいに多くの賞は取れなかった……。
痛快西部劇の宿命といったところですかね。
ワンコ

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