ラウぺ

シモーヌ フランスに最も愛された政治家のラウぺのレビュー・感想・評価

4.0
公職を退いたシモーヌは家族に囲まれ、穏やかな日々を過ごしつつ、自伝を書くためそれまでの過去を振り返る。フランスでもっとも偉大な女性政治家とされるシモーヌ・ヴェイユの生涯を綴った物語。

この映画を観るまで不覚にもシモーヌ・ヴェイユのことはまったく知りませんでしたが、フランスで同化ユダヤ人の家に生まれ、第二次大戦中は強制収容所に送られ、戦後は司法官として公務に就き、やがて保健相となり、欧州議会初の女性議長となる。
物語は殆どランダムと思われるほどに目まぐるしく時代を行き来し、シモーヌのエポックな出来事を綴っていくのですが、冒頭各時代の年代と場所が表示されるので、これを見逃さなければ時系列的な混乱を来すことはないようになっています。

少女時代の簡単な回想に続き、1974年の中絶の合法化法案の審議の場面に移る。
『あのこと』で違法な妊娠中絶が当事者にとってどれほど危険なことかを見せつけられて、それを合法化することがどれほど重要かを思い知ったのですが、ここでシモーヌは極めて論理的に中絶の合法化が必要な理由を語っています。
曰く「妊娠中絶は解決策のない状況に対する最後の手段であるべきであり、自ら喜んで中絶を受けたいという女性は一人もいない。中絶が悲劇だと確信するには女性に聞けば充分だ。違法で危険な中絶が横行し、無法地帯となっている現状を解決するには合法化に踏み切る以外にない。」
中絶を非合法化し、やむを得ない事情で妊娠した女性に出産以外の選択肢を残さないということは明らかな人権侵害でしょう。
1974年という時期に確信をもって中絶の合法化に踏み切った強烈な信念の人なのだ、ということがこの場面を観て明らかになります。

出自が建築家の娘で比較的裕福な家庭で育ったたこと、同化ユダヤ人ということで過度にユダヤ教徒であることよりも、世俗的インテリの空気の中で育ったことが窺われます。
第二次大戦中は強制収容所に送られ、いくつもの収容所を転々とした様子が描かれますが、各年代を行き来するうちに収容所時代の出来事は繰り返し描かれ、次第に悲惨の度を増していく様子が予想以上に多くのボリュームで描かれます。
当然のことながら収容所送りとなれば、生還できたこと自体が幸運なことであり、そこでの悲惨な体験は後に司法官となり、政治家となったときにその信念の下支えとなったであろうことは疑問の余地はありません。
逮捕が1944年と結構遅かったのに少々驚きましたが、後で調べると占領時代にはニースに在住しており、ニースはヴィシー政権の自由地域内、後にイタリア占領地域となり、ユダヤ人狩りがドイツ占領地域より緩かったこと、イタリア降伏後は全土がドイツ占領地域となり、検問に引っ掛かった際に身分証の偽造がバレた、ということらしい。

戦後もパレスチナには行かず、“フランス人”としてのアイデンティティを維持するところは、同化ユダヤ人としての幼少期の家庭環境が影響してのことなのでしょう。
学業を再開してパリ政治学院に入学し、官僚となった夫の反対を押し切って司法官となってからも、アルジェリアや国内での刑務所の待遇改善などに取り組む。
保健相として中絶の合法化以外にもエイズの患者を見舞ったり、欧州議会での議長となってからは女性の権利委員会の設立など精力的に活動していくさまが描かれます。
これほどの活動をしていた政治家であったとはまったく知らず、その業績の数々を見るだけで大いに心が動かされるのでした。

余談ながら、途中で5月革命の夜の場面が登場しますが、そこで息子が「インターナショナル」を歌おうとするところ、字幕が「国際歌」となっていましたが、「国際歌」で意味が通じるのか、ふと疑問に思うところがありました。
ひょっとして字幕の字数の都合なのかもしれませんが、日本においても戦時中ですら「インターナショナル」は「インターナショナル」と呼ばれていたのではなかったか?
まあ、戦時中の日本でそれをクチにすること自体、特高にしょっ引かれて即終わりだとは思いますが。

夫との関係や良き家庭人としての妻と仕事の両立といったテーマも織り込み、おそらく彼女の生涯を過不足なく描こうという意図のためか、ややダイジェスト的な印象も無きにしも非ずではありますが、スクリーンの向こうに居るシモーヌ本人の偉大さがそのままに伝わる、大変上質な伝記映画なのでした。

シモーヌ・ヴェイユは死去後パンテオンに合祀された史上5人目の女性とのことで、そのことをもってしても、この人がどれほど偉大な人物であったかが窺われるのでした。
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