『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』じゃん。
あの朽ちた電車は彼らのマルチバースだったんよね。
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yuzukaさんのこちらの記事(https://note.com/yuzuka_tecpizza/n/n3f54976b4247)と
この記事を広めたドリアン・ロロブリジーダさんのツイートを含めての「5」です。
映画ってここまでのことができてるのか、実は。
と心を強くさせていただきました。
どんなにいい映画が生まれてもそれを観た人が受け取ってないなら、虚しいですからね。
このようなリアクションがあるのは嬉しい。
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実はちょっとひっかかったのは、
この映画の端っこにいる人たちが割と単純な加害者として描かれていたこと。
先生のカノジョや同僚、先輩。
小学生のクラスメイトたち。
(野呂佳代さんはご本人の好人物ぶりによってそうは見えなかった)
いずれも結構イヤな奴として描かれたままだったのがイマイチだなあと思っていたのですが、
脚本家の坂元さんが反省の気持ちで書いた的なことを言ってらっしゃったので
おそらく坂元さんはクラスメイトのひとりだった?
もしくはモブ的に映画の端にいた人。
その頃の自分を〝言い訳せずに〟加害者として描いたのでは。
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当然ながら映画の中心人物ほど多面的に色濃く描かれる。
端に行くほど薄くなる。
そのグラデーションで言うと、この映画の外にいる〝観客〟も薄っぺらい加害者だと言いたいのでは。
怪物は誰……っていうことにも繋がるし、
ラストについてもさらに強烈になる。
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ラストについてはコメント欄に!!