YUMI

怪物のYUMIのレビュー・感想・評価

怪物(2023年製作の映画)
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世の中にはありがちな事なのかも知れませんが、子供の中には「親よりも大人で、教師より物事がよく理解出来ている」子がいるもんです。逆に言えば、大人が思ってるほど子供はガキでもバカでもないって事なのかもしれません。
そして、そういう子供ってのはそうならざるを得ない環境で育ったわけで、決して幸せとは言えない。さらに言えば、その後オトナになったからといって、心に負った傷やモヤモヤ感は消えるわけではなく、ずーっと背負ったまま生きて行く事になる。

この映画に出て来る湊くんと依里くんもまた、そういう「早く大人にならざるを得なかった」子供達。
のちに無二の仲良しとなるこの二人ですが、家族や学校ーー要するに子供にとっての全社会ーーに対する態度は真逆。
湊の母親はシングルマザーとしてクリーニング店で働く、とても息子想いなお母さん。しかも亡くなった夫の思い出も大事にしていて、彼の誕生日にはケーキを買って来て仏壇に供えたりしている。
しかしこれが曲者というか、母親は夫の事を美化しているけれど、実は彼は他の女と温泉旅行がなんかに行った先で死んでるんですよね。
その事を湊くんは知っている。このあたり、母親は息子が事実を知らないと思っているのか、あるいはわかってるけど言わないという暗黙の了解があったのかはよくわからないのですが、私の想像では、近所か親戚のお節介ババアあたりがわざわざ湊くんに吹き込んだんじゃないかなと。他所の家の問題にクチバシ突っ込みたがる連中っていますからね。
そんな事情があるから、湊くんはとてもじゃないけど父親を人生モデルにする事は出来ない。なのに母親は死んだ父親を理想化し、お父さんのようになって欲しいと湊くんに言い続けている。
湊くんが母親の隠し事に気づかないふりをしてるのは、きっとお母さんを傷つけたくない、つまり守ってあげなきゃと思ってるからなんだと思う。「おとーさんはカメムシに生まれ変わってるかも」なんて言うのは、そんな自分の気持ちを解ろうとしない母親への、せめてものイヤミかなと。
それ以外にも、クラスで起きてる依里くんへのイジメ問題や、それに気付かない学校側(特に担任教師)への苛立ちなど、彼は何もかも自分の内に抱え込んで苦しんでるように見えました。
一方、依里くんの家庭はもっと単純というか、こちらはシングルファーザーなんだけど、この父親が呑んだくれで、ろくすっぽ仕事もしてないんじゃないの?って感じのロクデナシ。しかも依里くんに対し、お前の頭には豚の脳みそが詰まってる、なんて平気で言い放つ、典型的というか、実にわかりやすい毒親。
確かに依里くんはちょっと学習障害があるのか、時々文字を鏡映しに書いちゃったりするんですね。しかもそれが原因で学校ではいじめられている。
けど、依里くんはそれらの事(毒親・障害・イジメ)に対してすごくクールに対処している。ここが湊くんとの一番の違い。
多分、最初に書いた「親よりも大人で教師より知ってる」子供たちの世の中への対応の仕方って、この二極に分かれるんじゃないかな。
全部抱え込んじゃうタイプと、完全に突き放すタイプと。

映画の展開としては、冒頭に仕掛けられた数々の謎、例えば「泥の詰まった水筒」「片方なくしたスニーカー」「担任教師の煮え切らない態度」「何処かから聴こえる管楽器の重低音」などが次第に明らかになって行くという手法が巧いなと思いました。ちょっと「カメラを止めるな」や「ヘイトフル・エイト」を思い出しましたが、これらの作品は前半と後半に完全に別れてたけど、本作はストーリーの中に徐々に落とし込んでいってましたね。
観てて腹立ったのは、あの校長。いくら孫が死んだ(しかもどうやら自分の過失で轢き殺した?)からといって、あんな茫然自失状態のまま職場復帰しちゃダメでしょ。きちんと職務に対処出来ないんだったら生徒や保護者や他の教師たちにも迷惑な話しで、ずーっと休職してるか退職してもらった方がいいのではないかと。

子供たちの事に話しを戻すと、依里くんが転校するって話をした時、湊くんが「行っちゃいやだ」と縋り付くシーン、ちょっぴりBLちっくな匂いを感じましたw
あのシーン、二人がキスするバージョンもあったけど、是枝監督が嫌がってナシになったのでは?なんて想像しちゃったりして。
その舞台となる、依里くんが見つけて湊くんと過ごした廃電車は、彼らにとっての「銀河鉄道」だったのかなと思いました。車内を宇宙空間みたいに飾り付けたりもしてましたからね。
それだけに、ラストは嵐の夜に二人は死んだんだと私は解釈しました。そして大人達に邪魔されない二人だけの世界に旅立ったのだと。観る人によって色んな解釈が出来そうなこの結末は、ちょっと「僕は怖くない」というイタリア映画を思い出しました。
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