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せかいのおきくのデッカードのレビュー・感想・評価

せかいのおきく(2023年製作の映画)
4.0
冒頭から糞尿の映像が画面いっぱいに映し出され、生理的には驚いてしまう。
糞尿で食っているので糞尿を素手で触ることも厭わない矢亮なのだが、糞尿描写がリアルで生々しい。
ここでリタイアする人もいそうだが、がんばって観てほしいところ。

まず、江戸の排泄物の処理についてくわしく描かれていて、初めて知ることばかりで興味深い。
江戸という世界一の大都市の糞尿事情は今まで描かれたことはないように思うが、「食って」「寝て」「糞を垂れる」という人間だけでなくすべての生き物にとっては当たり前の生理現象なのだが、糞尿についてはあえて誰も触れずに来ていたように思う。
江戸の人糞を買い取り、葛西村亀有の大百姓に肥料として売る。
江戸の人糞は葛西村が独占していたようで、それゆえ葛西村は百姓としては豊か。
江戸は江戸で、大雨が降れば厠の糞尿が溢れ出し臭いが充満し、それを汲み取ってくれる人がいなければ衛生的な生活はできない。
生活の中でいなくてはいけない存在の下肥買いなのだが、全身に糞尿の臭いが染み付いているし桶には糞尿があふれているので、一般の町人や武家の奉公人からは下に見られる存在になっている。

一方おきくは父の正義感ゆえの行動から慣れない長屋暮らしになっているのだが、追い打ちをかけるように悲劇が襲い、父と声を失い、心も病んでしまう。
寺で子どもや大人に読み書きを教えていた引きこもりのおきくを訪ね、寺での手習いの再開を訴える住職の眞木蔵人が不器用だが誠実さに溢れる演技を見せ好感が持てる。

また、中次に思いを寄せ、年頃の女性らしく中次を思い出しては一人で照れて恥ずかしがるおきくの姿を黒木華が可憐でかわいく演じていて、このシーンだけでもこの映画を観たかいがあったと思わせてくれる。

『冬薔薇』に続き、阪本順治監督作品で石橋蓮司が人の当たり前の生き死にについて味わい深く表現し、人物描写の奥深さを感じさせていて見事。

下肥買いの二人には将来の夢があるのだが、食うために不本意に仕事を続けていることは「糞のような世の中」といった恨みの言葉に如実にあらわれている。
この映画を江戸時代を舞台にした時代劇と割り切っていいのか?と疑問を持った。
実は現代も生活の中でいてくれないと生活が成り立たない仕事はたくさんあって、それなのにそういった仕事に限って社会から目を向けられず、むしろ蔑まれるような視線の中で働いている人たちは格差社会の拡大ゆえたくさんいるのではないかと思った。
ある総理大臣の政権以後、派遣社員など企業に都合のいいだけの雇用環境が正当化され、待遇の悪い仕事はどんどん拡大して、望むような仕事に就くどころか生きるのが精一杯の世代や若者が実はあふれていることを考えると、この映画はむしろ無慈悲な現代を如実に描いているとも思えた。
そして、そんな仕事のほうがエリートと言われる人たちの仕事よりずっと生活には絶対不可欠なのに、全くリスペクトもされていないのも事実。

劇中三人の若者たちは、決して悲観することなく青春を明るく謳歌して生きていくのだが、時代が幕末維新期であることが重要だと思った。
おきくと父に理不尽な仕打ちをした偉い侍の時代はもうすぐ終わる。
その侍には、おそらく時代の変化という残酷な罰が与えられたのではないかと思える。
そしてこの映画は、現代、何をしても決して罰されることのない人たちがいる社会が本当にいつまでも盤石なのか?というある種の威圧もかけているようにも思えてくる。
阪本順治監督がこんな世の中にたんかを切ったように感じたのだが、それは私の考えすぎかもしれない。
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