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しん次元!クレヨンしんちゃんTHE MOVIE 超能力大決戦 〜とべとべ手巻き寿司〜のyuzのネタバレレビュー・内容・結末

1.0

このレビューはネタバレを含みます

気持ち的に0.5点。0.5点はしんちゃんと3Dのみんなのかわいさ。
すっごく楽しみにして映画館に見に行ったら絶望を感じたから長めの感想を書く。

そもそも、今回のテーマはクレしんに扱いきれてない。キャラ崩壊ばっかりしてる。私に正解が出せるわけじゃないけどこれがクレしん映画の最適解じゃないだろうなとは感じる。

映画の元になった話も漫画、アニメどちらも見てから映画を見たけど設定の改悪に次ぐ改悪を感じた。
心が限界の時に見に行ったのもあって、クレヨンしんちゃんならではの「側から見たらくだらないことに一生懸命になる姿、家族愛、辛い時に頑張ろうと思える何か」を求めて行きました。(この時点で一般の方がクレヨンしんちゃんに求めるものとは違うかもしれません。私なりの基準です。)
そもそも非理谷が離婚したことによりいじめられただの孤独を感じただの、世の中の同じ境遇の人が辛い思いをするような設定を元に敵キャラを闇堕ちさせるのはどうなんですか?世の中にいる親が離婚した子、寂しい思いをした子はみんないじめられる?辛い思いをしたから闇堕ちする?そんなことはないと思います。
敵キャラにも悪いことをする何かしらのポリシーは必要だと思うけど、それがあまりにも悪い意味で理解できなかった。これまでのクレヨンしんちゃんは敵キャラのポリシーがおもしろい方向に斜め上だから笑えたけど、今作は無駄にリアリティをねじ込んだせいで最悪。
わざわざ無駄なリアリティを入れまくって設定を重くするよりは、原作くらい些細な理由から敵が地球滅ぼそうとする方がしんちゃんらしさがある気がします。
しかも映画のオチも監視カメラやテレビに非理谷の色々な悪事が写っていて、それを魔法の力で消してあげるとかのご都合展開もない。この時点でいい歳した私からすると今後逮捕一択じゃん。と絶望。
それに加えて、自我を取り戻し、現実を見て「もうどうしたらいいかわからない」という非理谷のの言葉に対し狂ったように野原家が「頑張れ」「頑張れ」。
悪夢?
そりゃあひろしみたいに会社勤めの人とはベクトルが違ったかもしれないけど非理谷は頑張ってないわけじゃなかったと思う。頑張ったけど、何も報われなかっただけ。
それなのに、解決策が「頑張れ」ってちょっとやばいのでは?制作側にいい言葉が浮かばなかったんなら初めからそんな疑問を野原家にぶつけるような演出をやめれば?本気で「頑張れ」が最適解と思ってるならちょっと私が映画に求める励ましとはベクトルが違いすぎる。人生うまく行った人が作った作品なんだなって感じ。頑張れば報われた人の作品。「世の中の辛い思いしてる人は頑張らなかったんだ」と純粋に思える人じゃないとこの作品は作れないと思う。頑張ったけど報われなかった人の存在を見たことがないのかな?
しんちゃんの過去作のような、「一生懸命なしんちゃんの姿を見て頑張ろうと思える」という作品じゃなくて「とにかく頑張れ、辛いなら頑張りが足りない」と態度じゃなく言葉で言われる感じは見ててすごく辛かった。

これは私の話になってしまうけど、かなり頑張ったけど報われず辛い時に救いを求めて見に行ったから「頑張れ」「頑張れ」という言葉に対し、「もう頑張ってるよ。足りないの?」と本当に辛くて別の意味で泣きそうになったからこの作品は私の中でもう見たくないクレしん映画一位かも。
あと可愛かったけど、話的に3dである必要性もわからなかった。ただ敵キャラのビジュのキモさが際立つだけ。
奇を衒ったり感動させたい欲だけが伝わり、クレヨンしんちゃんが可哀想に感じた。私はもう見ない。

主題歌も映画に出演されてる芸人や俳優の方々も演技は本当に素晴らしかったです。
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