るるびっち

ゴジラxコング 新たなる帝国のるるびっちのレビュー・感想・評価

3.0
山崎ゴジラの時、ゴジラを強い悪役にすることで人間たちに感情移入できたと書いた。
ゴジラシリーズは、悪役キングギドラに正義怪獣ゴジラが戦うという構造にした為、子供たちはゴジラに感情移入して人間は脇役に甘んじた。
ゴジラ映画で人間ドラマが希薄なのは、脚本のせいではなく構造の欠陥で、人間を脇役にしたので興味を持たれないのだ。

その構造を知ってか知らずか、今回はコングとゴジラが協力して地下の悪役怪獣たちと戦う。
全く人間は不要なので、脇役以下のモブに徹している。
喋れないコングやゴジラの代わりに状況を説明したり、設定を説明したりする役回りだ。
野球漫画で、魔球の解説をする観客レベルの扱い。
地下世界でモスラが崇められているとか、世界を襲う悪い怪獣がいるとか、昔ゴジラはそいつらと戦ったとか。
そういう設定説明のためだけに人間たちは存在している。
人間ドラマは一切無い。モブにドラマなんて不要と割り切っている。
それがファンにとっては無駄の排除であり、心地良くもあるのだろう。唯々ゴジラとコングが暴れ回る、おバカ展開が見たいのだ。

山崎ゴジラを批判して、本作を讃えるファンたちの望む夢がこれ。
AI社会同様、効率や簡素化を追及すると皮肉にも人間は不要になる。

ゴジラを正義怪獣に戻したことで、また人間ドラマは不要という結論になってしまうだろう。今後も人間は脇役に甘んじて、ゴジラやコングの通訳の地位しか与えられないだろう。
モンスター映画と怪獣映画は、実は似て非なるものなのだ。
エイリアンやプレデターのようなモンスター映画は、決して彼らを善にしない。悪役にしなければ人間の活躍場所は無いと解っているからだ。怪獣映画では、正義怪獣がいる限り人間はリストラだ。
頭が悪いのはゴジラとコングが戦っているからではない。
人間を脇役にした方が合理的と思っているところが、決定的に頭が悪いのだ。
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