【乗り越える】
Filmarksのリサーチで4月公開映画の期待度ランキングNo. 1の作品らしい。
最初の12年後、「会いたかった」と画面越しに言うヘソンに、ノラは一度唾を飲み込むようにしてから「私も会いたかった」と答える。
この意味をずっと考え続けるような作品だと思う。
昔付き合っていた女性の知り合いに「過去世(パスト・ライブズ)」が見えるという人がいた。
僕が言うとちょっとインチキくさいように思う人もいるかもしれないと思うが、この方は、どこかの、こうした文化的な側面を研究するカリキュラムを持っている大学で特別講義をしたこともあるような人だった。
その人に「あなたたちは過去世で兄妹だったのよ」と言われた。
過去世で兄妹だったから結ばれないのか、僕たちはその後お別れした。
1990年代の終盤、韓国は通貨危機に見舞われ経済も疲弊していた。アジア通貨危機というやつだ。
そのため、その後に海外に移住した人々は多かったのだと思う。
ここを実は理解して、この作品を考える方がより感慨深い気がする。韓国経済は当時壊滅的な状況だったのだ。
(以下ネタバレ)
冒頭のヘソンとノラのやり取りは、初めの12年後のものだ。
二人の間に横たわる距離。
初めからノラはヘソンにニューヨークまで会いに来てほしかったんじゃないのか。
逃げるように移住したアメリカで決して上手く行かず、トロントに再び移り住み、更にニューヨークで生きていこうともがいているノラは、ヘソンに会うためだけに韓国には行けない後ろめたさのようなものや、決意のようなものがあったのかもしれない。
越えたくても越えられない距離。
決して安易なわけではないけれども、近くにいる相手と心を通わせてしまうことは誰にでもあることだろう。
更に12年後。
もう子供ではない。
心に蓋をしても乗り越えなくてはならないことはあるのだ。
別れ際の二人の「分からない」という言葉は、二人の関係は決して過去世からの因縁ではなく、乗り越えるべき時に乗り越えることが出来なかったのだと自分自身に言い聞かせる言葉だったんじゃないか。
ただ、それで良いのだ。
そして更に、こんな二人の再会もすぐ過去世になるが、そんな過去世に左右されない見たこともない未来が必ずあるのだと、あれこれ理由を見つけて踏み出すことに躊躇している人たちに向けた言葉じゃないのかとも思う。