はたから見ればそれはありふれていて陳腐かもしれない、でも本人たちにとっては何年立っても特別な輝きを放っている初恋の話。
終わってみれば、なんか陳腐な話だったなぁと思わなくもないが、物語のディティールが、この映画が描くラブストーリーを特別なものにしていた。
両親がクリエイターの主人公一家は、「アジア人はノーベル賞を取れない」と行ってアメリカに渡る。主人公は自分の手に入れたいものを手に入れるために移住し、NYで作家業を営み、自分と同じ価値観を共有できる作家の白人男性と結婚。NYでの暮らしがすっかり板につき、母親すら自分の韓国名を呼ばなくなった頃、一度だけデートした懐かしい人をSNSで見つけて、マメに連絡を取るようになってーー。
主人公の感覚や価値観には共感するところがあった。自分が歩みたいと思う人生の選択を続けていく中でこぼし落としてしまったものがあるのではないか、でもその道には進まなかった確かな自分が今の自分。
日本で言えば、上京した女性が地元のなんとなく好きだった同級生をSNSで見つけて連絡を取る…というような平凡な(普遍的とも言える)ストーリーラインにも見えるが、アジア人であることや彼女の志の高さが国境を超えさせなければなかったことが、この物語を平凡と言わさせない芯を作っていた。
と、観たあとに、こういうのはラ・ラ・ランドで十分な感じがするなぁと思ったが、同時に"アジア人の"ラブストーリーであることこそがこの映画の価値だと気付いた。
ただ、会いたいと追いかけてくる男性があまりにも主人公である女性ヒロインに都合が良すぎないか?とも思わなくもないが、男性はいつまでも好きになった女の尻を追いかけたい生き物ともいうし、男性側から見れば、ひとつの男のロマンを書いていたのだろうか?ここは男性意見が欲しい。
余談だけど、徴兵制についての言及もあったが、だから韓国人男性はロマンチックなのかなぁともちょっと考えた