Tacos

マリウポリの20日間/実録 マリウポリの20日間のTacosのレビュー・感想・評価

-
 映画鑑賞中、そして鑑賞後も、どのような感想を持つことが正解なのかわからない、そんな作品だった。

死にゆく人々。死を受けて哀しみに打ちひしがれる人。明日は我が身と恐怖に身を震わせる人。そんな紛れもなく絶望を味わう人々を見て、柔らかな椅子の上で映像を眺める私が、何をどう思うことが正解だと言うのか。
 
 現地の警察や医師、街の人々が特派員のカメラに向かって、「ロシアに見せてやれ」「世界に伝えてくれ」と切実に、怒りのこもった声が記録されていた。
 確かに、記録された映像は社会に衝撃を与えた。しかし、変化は起きただろうか。記者自身も映像が持つ価値に、疑問を抱くこともあったようだ。日々のニュースを見て、平和な国に暮らす人々に、彼らを憐れみ、平和のために行動する人がどれだけいただろうか。
そんな人々を誰も責めることもできない。何もできないと、もどかしく感じる自分にさえ誰も非難することはないだろう。
 
 この作品で最も印象的だった場面がある。
ロシア国民と見られる子供連れの家族が、ウクライナ国旗の上で靴底を拭くシーンである。劇中では、プロパガンダの恐ろしさを表現するために映し出された場面であった。
 その映像を見て驚愕し、寒気さえ覚えた。
我が国の安全と家族さえ守れたら、それでいいのだ。プロパガンダの影響を受ける国民も、ロシア国家の被害者であることに変わりはない。しかし、戦争の当事者であり、多くの殺戮を広げる国の国民として、その行いは本当にそれでいいのか。それが彼らの正義なのか。
この映画を見たロシア国民の感想をぜひ伺いたいものだ。
 この作品は私に、『正義とは何か』と言う問いを投げかけた。哲学的で解答のないその問いを、思案する時間が必要だ。

 こうして、本作品の感想を感情的に書き連ねたわけだが、明日からもまた、ウクライナ国民の安全を祈ることなく、平穏でしあわせな国ならではのストレスを感じながら生きていくのだろう。そんな自分のことを非情で、人間的であると感じてしまうことが、末恐ろしい。
Tacos

Tacos