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夜明けのすべて(2024年製作の映画)
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原作は未読。

映画の冒頭と終盤の、美紗-上白石萌音と山添-松村北斗のモノローグには観客を作品に引き込む力を感じたが、同じくらいに二人のダイアローグにも目を見張るものがあった。
美紗と山添が相互理解を深めるにつれ、肩の力が抜けて会話の軽妙さが増していく。
そこには男女間に特有の緊張感がない。
そんな二人の関係性を上白石/松村のコンビはごく自然に表現していたように思う。

もう一組、光石研と渋川清彦にも触れておきたい。
内に深い悲しみを抱えながら、大仰な振る舞いをもってではなく表情で語る。
身体のレベルにまで落とし込んだ(ように感じられる)役作りがあるからこそ、観客は男たちの瞳の奥にその人生を見るし、落涙の瞬間に思わずもらい泣きをしてしまう。
共に流石の存在感であった。

この映画の「時間」と「空間」の使い方は印象的だ。

本作における「時間」は作劇上の必要に応じて緩急をつけられたものではなく、すべての人物に等しく流れるものとして演出される。
生理のサイクルは物語の進行と関係なく訪れるし、大切なものを喪ってから経過した年月は劇中の人物たち一人ひとりにのしかかる。
そうしたそれぞれの「時間」を物語のドラマチックな推進剤として利用しないという作り手の姿勢は、とても誠実だと感じた。

「空間」についても言及しておくと、美紗と山添が住まう部屋が象徴的だ。
それぞれ散らかっていたり賑わっていたり、二人の心身の反照のように部屋の様相も変化していく。見事な描写だ。

更に特筆すべきは、主人公二人が勤務する職場での一連のシーンだ。
カメラの手前で二人のドラマが繰り広げられ、その周囲を同僚たちが行き交い、いちばん奥の席から光石研演じる社長が二人を見守る。
この奥行きのある画面の構成はテクニカルで、カメラの位置、照明、美術、演者の表情、どれをとっても素晴らしかった。

映画『夜明けのすべて』はフィクションだ。
作中で描かれる人物たちやその関係性は理想的ではあるが、かなしきかな絵空事だ。
しかし、俳優たちの優れた芝居と、三宅唱監督をはじめとした技術/制作スタッフによる緻密な画作りによって、本作は現実の光景に近い質感を手にすることに成功している。

もしかすると我々の住むこの世界のどこかに「栗田科学」は存在するのかもしれない。

そう信じられるのはとても幸福な映画体験ではないだろうか。
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